- 戦国ちょっと悪い話46
861 :人間七七四年[sage]:2019/04/16(火) 05:04:01.24 ID:Am9ByBAt - 足利義昭公が上洛に成功し京に遷られ、武将(将軍)の家督を継がれたと言っても、尊氏公より代々
蓄積された和漢の珍器、武具の類は、三好のために一時に炎滅したため(永禄の変)、万事について 調わないことばかりであった。御領分はわずかであり、将軍の体裁にかなうほどの奉行、役人を 抱えられたが、人を抱えれば日々に負担がかかるものであり、また御道具も乏しく、かくして義昭公は 「在る甲斐もない身の上かな」と、よろずに思い乱れ給われた。 ある時、義昭公は旧臣達を集めて御談合の事あり、織田信長へ使者を遣わした。これは 「よろずの道具について、少しづつ援助してもらいたい」旨を、条数をあげて(箇条書きにして)、 杉原を使者として尾張へ下したものであった。 やがて信長にこの書状を差し上げると、彼はこれを詳細に見て「こちらから後で御返事申すであろう。」と 使者に対面せずにこれを帰した。義昭公はその後数ヶ月待ったが、遂に返事すら無く時は過ぎた。 「いかなる所存を差し挟んでいるのか」と、都において怪しくのみ思し召しに成った。 (室町殿物語)
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