トップページ > 戦国時代 > 2019年04月08日 > kfbrpRwr

書き込み順位&時間帯一覧

1 位/58 ID中時間01234567891011121314151617181920212223Total
書き込み数0000000010000000010100003



使用した名前一覧書き込んだスレッド一覧
人間七七四年
戦国ちょっと悪い話46
【疑問】スレ立てるまでもない質問15【戦国時代】
織田信長は過大評価されすぎ Part 2

書き込みレス一覧

戦国ちょっと悪い話46
837 :人間七七四年[sage]:2019/04/08(月) 08:49:37.48 ID:kfbrpRwr
豊臣秀吉公がある夜不思議の夢をご覧になって、俄に高野参拝のことを思し召され、先に日限まで
仰せに成ったので、諸奉行はその準備を緊急に初めた。途中の行路の警備はそれぞれの領主に仰せ付け、
道の高下を直し、狭い場所は取り広げ、橋のない場所には橋を掛け、道々に御休所を作り、亭を立て、
馬草、藁沓などを用意し秀吉の一行を待った。

こうして秀吉は高野山へと上がった。木喰上人はかねてより御役の準備をしており、様々な珍物、綺羅を
尽くして待ち受けられていた。高野山八谷の僧坊は、麓まで御迎えに出て、御供仕って登った。

(中略)

かくして一両日御逗留される事となり、御徒然なればとて、観世太夫を召し連れられていたので、
やがて御能を催される時に、坊主各々が申し上げた
「御なぐさみに御能は然るべき事ですが、当山は、開山大師の制法に、笛を戒められており、いかがかと
思います。」
「それは不思議なことを聞くものだ。様々の調べの中で、笛を戒めるとはどういうことか。」

「それについて、昨日ご覧になられた柳の少し向こうに、ここが霊山となる以前から、一つの大蛇が
棲んでおりました。しかるに大師は、『あれをここに置いていると、凡人が通い難くなる』と
思し召し、大蛇に向って『我この山をば仏法の霊地となさんと思っている。しかれば汝、ここに有っては
凡夫は不安に思う。急ぎどこへでも所を去るべし。』と仰せになった所、この大竜は『我、この山に
棲むこと、星霜既に無量なほどである。どうして今、私が住所を去らねばならないのか。』と言い、
些かもそれに従おうとしませんでした。そこで大師は『そういう事であれば』と、密かに竜の鱗に
毒虫をまいた所、竜は五体を投げ打って、痒き事耐え難いほどでした。そのため大師に降伏し
『この虫の病を止めてほしい。何処へでも去ろう』と嘆きました。そこで大師は『それほど苦しむので
あれば、止めて取らせよう。必ず去るのだぞ。』と仰られ、すぐに虫を払いのけられると、竜は喜び
そこから廿町(約2.2キロメートル)ばかり後ろの山へと立ち退きました。

それよりこの山は成就して、このように繁盛したのですが、笛の音というものはそもそも竜の吟ずる声を
表したものであり、この音を聞いては、自分の友が来たのかと考え大竜が動き出します。そのため戒められて
いるのです。」

これを秀吉公聞いて「よしよし、笛無くとも苦しからず。」と、御能をはじめられた。

しかし、既に三番過ぎて、四番目に仰られたことには
「山の制法にまかせ、三番は過ぎた。今度の能には、笛を大師に許していただこう。」と仰られ、
吹かせられた。

すると案の定、晴天は俄にかき曇った。人々があやしと見る処に、五段の舞に移ったが、四方より
黒雲立ち覆い、雷は八方より鳴り渡り、稲光りは火煙のように天地に満ちて、風雨はしきりに下って
枯木を吹き折り、山谷動揺して、今すぐ世界が打ち崩れるようであった。
東西も見えず暗夜となり、僧俗の区別なくあちらこちらに逃げ隠れ、人心地もなく、ここかしこに
身をすくめて転び伏せた。

秀吉公も御帯刀を急いで手にされ、風雨激しき暗さに紛れ、麓へ向って落ちていった。
御伽の人々も、諸臣も、一体どこへ逃げたのか、あたりには一人も居なかった。
ようやく道の案内として坊主一人、御小姓衆一人にて、麓を指して急ぐほどに、山から
廿余町ばかりこなたの、「桜もと」という場所に賤屋十軒ばかりあり、「先ず暫くここにわたらせ
給え」とて、事の静まるのを待った。

二時(約四時間)ばかりあって、ようやく空も晴れ、雷も鳴り止んだため、人々も行きた心地を
取り戻し、我が身を我と知った。
秀吉公が仰せになることには
「さりとては、大師の制法、ありがたくこそ覚える」
と、いよいお信心深く思し召しに成った。

(室町殿物語)
【疑問】スレ立てるまでもない質問15【戦国時代】
281 :人間七七四年[sage]:2019/04/08(月) 17:48:43.11 ID:kfbrpRwr
日本は城郭の発達で、合戦とはほ城攻めと後巻に限定される状況になったからなあ。
軍団同士の衝突と言うのがレアケース
織田信長は過大評価されすぎ Part 2
126 :人間七七四年[sage]:2019/04/08(月) 19:58:58.49 ID:kfbrpRwr
> 寺社勢力を武装解除させコントロール下に置き
> 京都を中心に社会秩序と物流を安定させ
> 近世の集権体制の基盤を作ったのが信長である事は異論を待たない

いやそれ全部秀吉だろ。信長の時期にそういう方向性は未だ出ていない


※このページは、『2ちゃんねる』の書き込みを基に自動生成したものです。オリジナルはリンク先の2ちゃんねるの書き込みです。
※このサイトでオリジナルの書き込みについては対応できません。
※何か問題のある場合はメールをしてください。対応します。