- 戦国ちょっと悪い話46
743 :人間七七四年[sage]:2019/02/15(金) 18:10:30.03 ID:eLOuuDtR - そうして滝川左近太夫(一益)は秀吉に懇望して身を任せ、長島城を渡すことで許容となった。
このような時(出典の成立年。1583年)に、東国においては徳川家康と北条氏政、北国において は長尾景勝(上杉景勝)、西国においては毛利輝元が、皆秀吉へ方々から寄り集まっている。天下は 秀吉の掌握に帰すといえよう。 漢の高祖が天下を取った時に三傑あり。戦に優れたのは韓信なり。糧を巡らすのは蕭何なり。謀を巡 らすのは張良なり。源頼朝が日本を治めた時に三賢あり。義経は戦功をことごとくし、梶原景時は世 勢をもっぱらにし、北条時政は政道を行った。これはすべて良臣の諫めによって成し遂げたのである。 今は秀吉が一心で謀を巡らし糧を蓄え、戦をもっぱらにする。まことに前代未聞の大将なり。 ――『柴田退治記』
|
|