- 武田勝頼 パート14
163 :人間七七四年[]:2019/01/12(土) 00:02:14.28 ID:ii/n6cDt - 自然災害で代が替わったり家が潰れるのは珍しい事ではないと思う。
飛騨の帰蝶城だったり、大森氏の小田原城だったり。
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- 武田勝頼 パート14
166 :人間七七四年[]:2019/01/12(土) 00:46:12.87 ID:ii/n6cDt - >>165
そこらへんは家康も似てるかもね。 家臣に担がれた当主だったので かなり長い間、水野・石川・酒井などに頭があがらなかった。 それらの旧臣がうざくてしかたないので岡崎に残して 自らは浜松におもむき新世代の家臣を相手に威張ってた。
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168 :人間七七四年[]:2019/01/12(土) 01:10:28.73 ID:ii/n6cDt - 信玄が諏訪を侵略した後の戦後処理を全て板垣に任せて領地として与え
自分はすたこら躑躅ヶ岬館へ帰ったのも頭の上がらない重臣と距離を置いて 躑躅ヶ岬館で誰に頭を下げる事もなく自分が主権者である事をより印象付けるためだったかもしれない。 領土拡張よりむしろ自分の地位を固める事の方が重要な時期だったのかも。
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- 武田勝頼 パート14
171 :人間七七四年[]:2019/01/12(土) 01:23:14.34 ID:ii/n6cDt - >>169
諸刃の剣で遠ざけた重臣が裏切って隣国の味方になると国が亡びるよね。 山海関の守将であった呉三桂が清の摂政王ドルゴンを引き入れた事によって 中国は満州族の土地となったわけだし。
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- 武田勝頼 パート14
174 :人間七七四年[]:2019/01/12(土) 01:36:22.03 ID:ii/n6cDt - アレキサンダー大王は父の死後(アレクサンダーが暗殺した説もある)
頭の上がらない重臣のアンティパトロスたちをマケドニア本国に残して 自分はミエザの学園の学友たちと遠征に出かけ世界を手にしたものな。 気の置けない仲間たちとの方が本人も気楽だったのかもしれない。
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- 武田勝頼 パート14
179 :人間七七四年[]:2019/01/12(土) 08:56:25.66 ID:ii/n6cDt - >>176
穀倉地帯の佐久を奪うために諏訪や村上と組んで海野を倒したけど 扇谷上杉が侵食してきたので、上杉と戦うくらいなら 頼満が死んで嫡孫の頼重が継いだばかりの諏訪を奪った方が楽だという判断で滅ぼしたんだろうね。 もし頼満が癌で死んでなければ信玄も諏訪家を攻める事はなかった。
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- 武田勝頼 パート14
181 :人間七七四年[]:2019/01/12(土) 09:09:44.53 ID:ii/n6cDt - >>180
信玄の性格的に手を出さないでしょうな。 その場合はおそらく内政を重点的にしただろうと予測できる。 史実通りの甲斐三法や治水事業に加え交通整備や農業振興を重視したのではないだろうか。 他にやることないし。
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