- 戦国ちょっと悪い話46
496 :人間七七四年[sage]:2018/12/03(月) 16:59:32.80 ID:Mz61qWb/ - 林羅山と円模の地図
慶長11年6月15日、道春(林羅山)及び信澄(羅山の弟)は頌遊(松永貞徳)の仲介で 思いがけず耶蘇会者不干氏(ハビアン・日本人イエズス会士)の元に至った。 不干は従者の守長に三人を招かせ部屋に入れて、座らせた。 寒温(時候の挨拶)が終わると、春は徒斯画像(キリスト図)について質問したが (不干は)はっきり解答しなかった。浅はかな解答になるのを恐れたのだろう。 またかの円模の地図(地球図)を見て、春が 「上下ということがあるのか」 と言うと、干は 「地中をもって下とする、地の上は天であり、地の下もまた天である。 吾邦(ここでは西洋人のこと)は舟で大洋に漕ぎ出したが、東極は西、西極は東。 これにより地の円であることを知る」 と答えた。 春は 「この理は成立しない。地下にどうして天があるだろうか。万物を観れば みな上下がある。彼が上下がないように言うのは、この理を知らないからだ。 大洋の中は風も波もあるのだから、西に行こうとしてあるいは北や南に向かい その後東に行ったのを舟中の人が分からず、西に行ったと勘違いしただけだろう。 西極が東になる訳がない。東極の西も同様である。物にはみな上下がある理を 知らないので、彼は地中を下とし、地形を丸いとした。その惑いがどうして 悲しくないだろうか。朱子の言う"天半地下を繞る"ことを彼は知らないのだから」 と言った。 ――『排耶蘇』 他にも長々と反論があるがカット。羅山は中国の渾天説に拠って発言しているので 地が浮いていることには異論を述べていないが、朱子学では自然法則と倫理規範との 合致を説くので、天地の上下が相対的な地球図を忌避したらしい。 参考論文:金沢英之(2004)『《地球》概念のもたらしたもの』
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