- 【木刀】宮本武蔵を語る【サイコー!】
614 :人間七七四年[]:2018/11/30(金) 20:14:55.33 ID:3XM0cOBO - 大坂御陣御人数附覚の内容は恐らく大まかには正しいと思うのは、武蔵はその後、
水野の家臣の中川志摩之助から三木之助、九郎太夫の二人を養子にとっているから。 なんの縁もなしに、養子縁組をするとは考えにくい。 とりあえず水野勝成宛の伝書は、改めて調べたけども慶長十三年発行…水野勝成44歳、武蔵25歳か…。 年の差は師弟関係としてありえなくはないけども、武蔵は若すぎないか? あと勝成宛の伝書が兵道鏡として転写されているものの一つなのだけども、この兵道鏡は何種か 同様の内容のものがあって、しかもほぼ同内容の伝書が18世紀に円明流の脇坂によって発行されている。 脇坂の伝書、兵法教之巻とかいうそうだ。他にも円明流奥義書とか、類似内容の文書があるんだとか。 これらが武蔵の兵道鏡から抜粋して発行したと考えてもいいけど、箔をつけるという意味からすれば、 最初から全部、武蔵より相伝されし云々と兵道鏡と名付けて伝授しただろうと思う。 …とかここらは某所の記述のほぼそのまんまの要約だから自分の考えたみたいに書くのはアレだが、 水野勝成が武蔵の弟子だったとかいう話は、それこそ水野家の方に記録がなければおかしい話だが、 ぶっちゃけこの兵道鏡以外には調べてもでてこない。 現状、水野勝成と武蔵の関わりから18世紀以降に誰かが円明流の伝書を改変して創作した可能性が高いと思っている。
|