- 戦国ちょっと悪い話46
14 :人間七七四年[sage]:2018/08/04(土) 11:20:41.01 ID:2hjMYhnQ - >>13
きっと細川政元が空を飛ぶ度に
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- 戦国ちょっといい話46
112 :人間七七四年[sage]:2018/08/04(土) 13:45:24.58 ID:2hjMYhnQ - 永承4年の夏、香西又六郎元長、薬師寺三郎左衛門(長忠)、竹田孫七、新名某などが寄り合って密謀した。
「我らの主君である細川政元は近年物狂わしく、行跡政道粗略である。この人が存命するならば、 当家は必ず滅亡するだろう。また六郎殿(細川澄元)の世とならば、彼に従う三好家は益々権威に誇り、 やがて世を傾けて覆すだろう。であれば、我々は彼らに先立って、政元を弑し奉り、丹波の源九郎御曹司澄之を 細川の家督に立て京兆家を相続して、六郎殿を退け三好党を滅ぼすべきである!」 そう謀反一決し、細川政元の右筆である戸倉という者を語らい置いた。 同六月二十三日、政元は例のごとく愛宕精進潔斎して、沐浴のためとして湯殿へ立ち入った所を、戸倉が するすると走り寄って政元を刺殺した。時に生年四十二。無残と言うも言葉が足りない。 この時、常々政元の傍を離れず近仕していた波々伯部という小姓の少年が、何も知らず湯帷子を持ってきた所、 戸倉はこれも切りつけた。しかしそれは幸いにも浅手で、後に蘇生して一命を助かり、傷もすぐに癒えた。 さて、細川政元が滅びたことで香西、薬師寺たちは力を得、次は六郎殿(澄元)を討ち取ろうと、同二十四日。 香西又六、同孫六、彦六の兄弟、多勢を引き連れ澄元の館へ押し寄せた。澄元の家臣である三好、高畠といった 人々はこれを予想しており、百々ノ橋を隔てて対峙し、ここを先途と防ぎ戦った。 敵方には政元を殺した戸倉の一陣があり、この部隊が進んできたのを、あの政元の小姓、波々伯部が見つけ キッと睨んだ 「昨日は負傷させられらが、己は正しく主君の敵である、逃すまじ!」 そう名乗りを上げ散々に突き合い、終に鑓にて戸倉を突き伏せ、その頸を郎党に取らせた。 天晴忠義の若武者かなと、人々はみなこれを褒め称えた。 (應仁後記)
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829 :人間七七四年[sage]:2018/08/04(土) 14:00:47.72 ID:2hjMYhnQ - >>828
逆。秀頼が徳川体制に「謀反」したの。「主上御謀反」ってご存知?知らんだろうなあ
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831 :人間七七四年[sage]:2018/08/04(土) 14:22:11.16 ID:2hjMYhnQ - >>830
むしろお前何でそこまで史実を捻じ曲げて徳川を悪くしたいの>親でも殺されたの? あと二条城会見で世間的には完璧に秀頼は家康に臣従してるぞ。そんな事もわからないの?
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839 :人間七七四年[sage]:2018/08/04(土) 14:43:47.56 ID:2hjMYhnQ - >>836
おまえ大阪の陣が起こった経緯いちゃんと把握してる?
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