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661 :人間七七四年[sage]:2018/04/12(木) 12:32:24.60 ID:rQneZYFw - 永禄六年卯月(四月)朔日に、雷がおびただしく落ち京中振動し、東寺の塔へ雷火落ちかかり
たちまちに焼失した。これは、三好家があまりに驕りを極め天下に威勢をふるっているが故に、 天道は満つれば欠ける習いなれば、全ての物に有る、余りに過ぎて溢れる時節が到来したため、 このような天災のお告げもあるのだろう。この上に一体何事があるのか。 そう人々は危ぶみ思った。 そのような中、果たしてその年の八月二十五日、三好長慶の一子、筑前守義興が芥川城にて 死去した。黄疸という病に罹り、たちまち死に及んだという。 父長慶は申すに及ばず、公方義輝も御愁傷限りなかった。 この死について、義興が近くに召し使う者の中に、食事に毒を入れて奉りかく逝去したのである という話が後に聞かれた。また松永(久秀)の仕業であるとの言われた。 長慶は家督相続の子を無くし、十河一存の子息・熊王という者を養子とし家督に定めた。 三好左京大夫義続がこれである。三好家の政道は専ら松永と三人衆の心のままであり、 勅命も恐れず武命(将軍の命令)も用いず我意に任せていた。 (足利季世記) 三好義興の死について
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