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396 :人間七七四年[sage]:2017/12/07(木) 21:42:06.30 ID:ZG2/Mmcy - 織田信長は二十年あまり、憤怒を抑えていたが、石山本願寺が和睦し開城すると、
天下はここに平均成った。 すると天正八年、信長は林佐渡守を流罪とした。 彼がかつて、名古屋において信長を謀ろうとした罪によってであった。 また安藤伊賀守を流罪とした。 これは、彼がかつて武田信玄に内通したためであった。 小さなことであっても、自分が恨みに思ったことを、後に自身が世に盛んになってから、 報復することを考えるのは、おおよそその人に度量があるとはいい難い。 我が身の遺恨故に人を害し、損なおうというのは、大丈夫の心とはいい難い。 織田信長にはこう言った誤りがあった故に、荒木村重、松永久秀らは安んずること出来ず、 天下に乱逆を成した。惟任光秀による禍も、この故であると言えるだろう。 一方秀吉は、毛利が柴田と内通し、室町殿(足利義昭)を再び京に復帰させようとしたことを 知りながら、後に毛利や義昭に対し、聊かもそういった気色を見せなかった。 信長と比べ、その度量大きく違うと言うべきであろう。 (士談)
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