- 関ヶ原合戦はどうすれば西軍が勝てたか?Part7 [無断転載禁止]©2ch.net
771 :人間七七四年[]:2017/09/11(月) 02:24:05.89 ID:TOTiOwX1 - 〉〉767
そもそも小牧長久手は秀吉対信雄であって家康は同盟相手として派兵したに過ぎん。 同時進行中の紀州勢の岸和田侵攻とか秀吉方の前田対信雄方の佐々とかの一連のひとつの戦闘に過ぎない。 秀吉が信雄の本領を攻撃して降伏させると同盟勢力として派兵してた家康は 戦闘継続の大義名分失って何ひとつ得ることなく撤退してるのが何よりの証拠。 つまり家康は局地戦のひとつには勝ったが戦場に釘付けにされて信雄本領を攻略され、戦略目標達成できず負けた。 (ついでに言えば池田は同盟相手であって秀吉と主従関係にあったわけじゃない) だいたい秀吉は徹底抗戦の相手には侵攻してるけど、 家康に限らず交渉で済む相手には外交で併呑してる。 小牧長久手で負けなかったから〜云々は後世のこじつけ。 ただ外様を直接侵攻せずに呑み込んで広大な領土を持たせたままだったから 秀吉が君臨してる間はともかく、トップがいなくなると途端に不安定な政権だったのは事実。 トラウマではないが構造上の欠陥。 三成が挙兵しようにも手持ちが19万石で、輝元を総大将に祀り上げないとどうにもならなかった。 それで肝心の総大将がひよってたのが最大の敗因なわけで。 幾ら吉川や福原ら宿老が内通してても、総大将になって更に瀬戸内にちょっかい出してる時点で 負けても本領安堵されると本当に思ってたんだろうか。 毛利本隊と別動隊の元康・秀包隊に秀元隊合わせて 積極的に戦闘参加してれば福島その他抱きこまないでも勝てたかもね。
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