- 宅間守は戦国時代に生まれていたら英雄扱い [転載禁止]©2ch.net
28 :人間七七四年[sage]:2017/06/13(火) 17:46:42.77 ID:LoPb8faI - 吉岡守(よしおかまもる)の先祖は旧薩摩藩の下級武士で、
吉岡の家系ではそれを代々誇りにしていた。 この家の男子は法律や警察関係の仕事を行う者が多かった。 武士だった吉岡の曽祖父は、明治維新の直後に丁髷を落として警察官に就任し、 鹿児島県から奄美大島に渡った後、大阪・河内へ移住した。 吉岡の祖父は、吉岡の父親が17歳になった年の春に死去している。 吉岡の父親は小学校で学歴を終え、吉岡家一家の大黒柱として6人の家族を養ってきた。
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29 :人間七七四年[sage]:2017/06/13(火) 17:47:52.30 ID:LoPb8faI - 吉岡の父親は、吉岡の祖父と幼い頃から自宅の庭で木刀を打ち合っていたと言い、
「自分は薩摩武士だ」との強烈なプライドを生涯持ち続けていた。 吉岡の父親によれば「『誰にも迷惑をかけない』というのは、 大きな私のテーマでありました」と語っている。 また、「(吉岡の家の男子は)何代にも渡って厳しい修身道徳教育を受けてきたため、 (吉岡の家の男子は)『真のサムライたれ』と教育された。 ワシも父親(吉岡の祖父)に厳しくそれを仕込まれたし、 どんな出身地や身分にも関係無く『教育勅語』というものがあった。 これがあったから日本人はちゃんとしとったんですよ」という。
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30 :人間七七四年[sage]:2017/06/13(火) 17:48:46.14 ID:LoPb8faI - 吉岡の父親は、教育のためか家族全員に対して激しい暴力をふるっており、
吉岡自身も父親から厳しく接せられていた。 吉岡は暴力をふるう父親を憎悪し、寝ている間に包丁で 刺してやろうと思ったこともあると述懐している。 吉岡が非行に走るようになると親子関係はさらに悪化し、 取っ組み合いをして父親が吉岡を何度も石で殴打する出来事もあった。 この父親に教育された吉岡守の元の名(旧姓)は宅間守です。
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