- 戦国ちょっといい話44 [無断転載禁止]©2ch.net
958 :人間七七四年[]:2017/05/25(木) 07:20:42.25 ID:+O/9+IlI - 鹿児島県曽於市財部町にある溝ノ口洞穴は、宮崎県都城市と接する台地の末端部にあり、入り口が広さ13.8m、
高さ8.6mで全長が224mの大規模な洞穴です。内部の一番広い部分は幅が約40mで,天井部はアーチ型になっています。 洞穴は、約25,000年前に姶良カルデラから噴出した大隅降下軽石層と、シラス(入戸火砕流堆積物)の溶結した 溶結凝灰岩の中に形成されており、雨水がシラスや軽石を外に運びに姶良カルデラから噴出した大隅降下軽石層と、 シラス(入戸火砕流堆積物)の溶結した溶結凝灰岩の中に形成されており、雨水がシラスや軽石を外に運び去って 徐々に空洞が拡大されてできたものです。 また、洞穴内には縄文時代の人の生活跡もあり、当時の生活を知る上でも重要です。 (昭和30年に、鹿児島県の天然記念物に指定される) 伝承では犬を洞穴に入れたところ高千穂峰に出てきた(距離にして7〜8キロほど)話もあります。 毎年4月8日(釈迦誕生の日)に近い日曜日には洞穴で溝ノ口岩穴祭りが行われます。 (場所を示す時には“洞穴”、祭りを示す時には“岩穴”となります) このお祭りでは、奴踊りや棒踊り、刀踊り(棒踊りと刀踊りは隔年奉納で2017年は刀踊り)が洞穴と洞穴の入口に 祀られている岩穴観音へ奉納される。 これらの踊りの中でも奴踊りの歴史は古く、三つの説があり、 「島津義久が島原の龍造寺隆信を攻めた時の戦勝祝いに踊られたもの」 (大隅建国千三百年記念祭ではこの説が紹介される) 「豊臣秀吉が島津征伐の時に、新納武蔵守が城を守り通した祝いのために踊られたもの」 「島津義弘が朝鮮征伐した戦勝の祝いとして始められたもの」などと伝えられています。 このようにして、戦勝を祝うとともに、士気を鼓舞するために始められた奴踊りは、鼻筋を真っ白に塗り、 頭に白鉢巻、服装は紫の着物に赤い帯、刀を黄色と水色の長布で背負い両手に扇を持ちます。 楽器は、太鼓と三味線・拍子木で、歌詞は釈迦誕生日と関連しています。 現在は郷土教育の一環として財部の中谷小学校の全児童と卒業したばかりの中学一年生によって継承されている。 (2017年は11名の参加) 祭りの進行は、 岩穴観音の前で奴踊り 岩穴観音の前で刀踊り 洞穴の中で刀踊り 地域の連絡事項(小学校の新任の先生の挨拶、先任の先生からの手紙の紹介、転入してきた人たちの紹介など) 昼休み 洞穴の上の山にある馬頭観音が祀ってあるところまで(車で)移動 馬頭観音の前で奴踊り 馬頭観音の前で刀踊りです この祭りは、プログラム表も立て看板も大々的な宣伝もなく地元の人たちが永いこと守ってきたお祭りでした。 (参考 財部町郷土史、曽於市観光協会の方の話など) ※刀踊りは日本武尊が川上梟帥を討った逸話からきており、鉢巻に襷がけ袴に着物は女物を着用(花柄) 四人で一組となり三組で踊る。棒踊りの由来は不明。 溝ノ口洞穴の写真など http://kagoshimayokamon.com/2016/05/27/izonokuchi/ 観光協会の方や洞穴の看板の注意 ・携帯は圏外です。危ないので一人では来ないでください、二人でもキツイので三人以上で来てください。 ・照明はありません、自前で懐中電灯をお持ちください。 ・流水がありますが、柵などはありません。数年前に落ちてしまって近くにお店どころか民家も無いので 遠くまで移動した上に洋服一式お買い上げになった方がいるそうなのでご注意を。 ・落書きは洞穴の強度の関係で消すことは出来ません。絶対にしないでください。 (2015年にももいろクローバーZのライブ映像として使われてから、来る人が増えたら不届き者も 増えてしまったようで落書きも増えてしまったと)
|