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501 :1/2[sage]:2017/01/11(水) 19:41:29.26 ID:JXo5ixzE - 豊臣秀次は高野山に上り、木喰上人の坊へと案内された。木喰上人は秀次の来訪を大いに驚き、
急ぎ招き入れ「只今の御登山は思いもよらぬことです。」と涙を流した。秀次は何も言わず、 袖を顔に当てて涙にむせんでいたが、 「私はこのような事が起こるとは思いもよらず、世にあった頃、気をつけることもなかった。 今更浅ましいことであるが、今にも伏見より検使がくれば、私は自害する事になるだろう。 そうなった跡の事は、一体誰に頼めばいいだろうか。」 そう、涙ぐんで尋ねた。 「御諚ではありますが、当山の衆徒一同に訴えれば、太閤殿下がどれほど憤り深くあられようと、 どうしてその御命令を承知するでしょうか?」 木喰上人はそう頼もしく答えた。 秀次はそこで法体と成り、道意居士と名乗った。供の者達も皆髻を切って、ひとえに来世を祈り、 上使を今か今かと待っていた所、福島左衛門大夫正則、福原左馬助長堯、池田伊予守景雄を大将として、 都合1万余騎、7月13日の申の刻(午後4時頃)伏見を立ち、14日の暮れ方に高野山に到着した。 3人の上使は、木喰上人の庵室に入った。この時秀次は大師の御廟所に詣でるため、奥院に居たが、 これを知らされ戻り、3人と対面した。 福島正則は畏まり、法体姿に変わった秀次を見て涙を流した。秀次は言った 「汝らは、私を討ちに来たのだな。この法師一人を討とうとして、由々しき振る舞いではないか。」 福原が畏まって申し上げた 「その通りです。御介錯仕れとの上意にて候。」 「さては我が首を討とうと思ったか。しかしお前はいかなる剣を持っているのか? 私も腹を切れば、その首を討たせるために、形のごとく太刀を持っているぞ。さあ、汝たちに 見せてやろう。」 そう言って3尺5寸ある金造の帯刀をするりと抜き、「これを見よ」と言った。 秀次は福原左馬助が若輩であり、推参を申したと思い、重ねて物申せば斬って捨てると考えているようであった。 秀次の3人の小姓は秀次の気色を見て、少しでも動けば、秀次が手にかけるまでもなく自分たちで 斬り捨てるのだと、互いに目と目を合わせて刀の柄に手をかけていた。その有様はいかなる天魔鬼神も退くように思えた。 秀次は刀を鞘に収めると、 「お前たちは私が今まで存命しているのを、さぞや臆したためだと思っているだろう。 私も伏見を出た時に、どうとでも慣れと切腹を思ったが、上意を待たずに切腹すれば 『はやり自身に誤りがあったからこそ自害を急いだのだ』と言われ、これにより責任の無い者たちまで 多く命を失うことになるとの懸念から、今まで生きていたのだ。 今は最期の用意をしよう。故なき讒言によって私はこうなってしまったが、私に仕える者に一人も 罪有る者は居ない。良きように言上し、申し扶けて、私への饗応にしてほしい。 この事、相構えて汝らに、頼むぞ。」 一座の者たちはこれを聞き、有り難き御志と感じ入った。 そうして座を立つと、最後の用意を初めた。しかしここに木喰上人はじめ一山の衆徒が集まり、 3人の上使に対して抗議をした 「当山は七百余年このかた、この山に登った人の命を害したこと、その例ありません。 一旦この旨を太閤殿下に言上していただきたい!」 3人はしかし「そうではあろうが、とても叶うことではない。」と説得した。それでも衆徒の抗議は 止まなかった。ここで福島正則が進み出て 「衆徒の言うこと、尤もである。だがこれ以上時刻を費やせば、お前たちまで太閤殿下の勘気を蒙り、 腹切れと言われるだろう。それでも言上したいと言うなら、先ずここに居る我々3人を衆徒の者達が 手に懸けよ。その後はお前たちの心次第だ。」 そう、膝を立てて言うと、所詮は出家の事ゆえ、上人はじめ一山の衆徒も、力及ばず立ち去った。 その夜はこのような評議に時遷り、漸く曙になると、巳の刻(午前9時頃)に秀次の御最後となり、その有様は非常に神妙に見え聞こえた。 彼は付き従った人々を召して、 「汝らこれまでの志こそ、返す返すも浅からぬ。多くの者達のその中で、数人が最後の供をするというのも、前世の宿縁というものだろう。」
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502 :2/2[sage]:2017/01/11(水) 19:42:20.88 ID:JXo5ixzE - そう涙を流した。そして3人の小姓たちに
「若き者達だから、最後の程も心もとない。その上自ら腹切ると聞けば、それを妨害しようと雑兵共が 乱れ入って、事騒がしくなるのも見苦しい。」 そう考え、山本主膳に国吉の脇差を与え、「これにて腹切れ」というと、主膳承り、 「私は御介錯仕り、その後にこそと思っていましたが、先に参り死出三途にて、道を清めておきましょう。」 そう言ってニッコリと笑い戯れた姿は優美ですらあった。 彼は脇差を押しいただくと、西に向かい十念して、腹十文字に掻っ切って、五臓を腹から繰り出した所を、 秀次が手にかけて討った。この時19歳。 次に岡三十郎を召して「汝もこれにて腹切るべし」と、厚藤四郎の9寸8分を与えた。 「承り候」とこれも19歳であったが、さも神妙に腹を切り、また秀次が手にかけて討った。 3番目の不破万作には、しのぎ藤四郎を与え、「汝も我が手にかかれ。」というと、「辱し」と脇差を頂戴した。 彼はこの時17歳。日本に隠れなき美少年であり、雪よりも白い肌を押し開き、初花がやや綻ぶ風情なのを、 嵐の風に吹き散らされるように、弓手の乳の上に突き立て、目手の細腰まで引き下げた。 秀次はこれを見て「いみじくも仕りたり!」と太刀を振り上げると、首は前に落ちた。 誠に彼らを人手に掛けたくないと思われた、その寵愛のほどこそ浅からぬものであった。 その後、秀次は僧侶の立西堂を呼んで伝えた 「その方は出家であるから、誰も咎めるものは居ない。ここから急ぎ都に上り、私の後世を弔うように。」 しかし 「これまで供奉仕ったというのに、今更都に上って何の楽しみがあるでしょうか? 私も厚恩深き者ですから、出家であるからと言って逃げることなど出来るでしょうか? 僅かに命を永らえるために都に上り、人手に掛かるなど考えもできません。」そう言い切った。 この僧は博学多才、和漢の書に詳しく当檀那の弁を持っていたのに、秀次の酒宴遊興の伽僧となった事で、 多くの人々から宜しからぬ人物と思われていた。それが最後の供まで仕るのも不思議な事である。 次に秀次は篠部淡路守を召して 「この度私の後を慕い、ここまで参った志、生々世々まで報じ難いものである。汝は特に、私を介錯した後、供をせよ。」 淡路は畏まり、大いに悦んだ。 「今度、その跡を慕い参らんと思っている者達はどれほど居ることでしょうか。その中でそれがしは 武運にかない、御最後の供を申し付けられただけでなく、御介錯まで仰せ付けられました。今生の望み、何事かこれに過ぎるでしょう。」 これを聞いて秀次は心地よさげに静かに笑い、両目を閉じ、「迷故三界城悟故十方空」と観念して後、 「ならば、腰の物を」と申し付けた。 篠部は1尺4寸の正宗の脇差の中巻きしたものを差し上げた。 秀次はこれを右手にとり、左手で心元を押し下げ、弓手の脇に突き立てると、目手にキッと引き回し、 腰骨に少しかかったと見えた所で、篠部淡路守が刀を構えた。しかし秀次は「暫く待て!」と、 さらに取り直して胸先から押し下げた。ここで篠部は秀次の首を討った。 惜しむべきかな。御年31を一期として、南山千秋の露と消えられたのだ。哀れと言うにも余りあるではないか。 そして立西堂は死骸を収めると、これも秀次の供をした。 篠部淡路守は関白秀次の死骸を拝して後、3人の検使に対し 「それがしは不肖ですが、この度秀次様の後を慕った恩分に、介錯を仰せ付けられました。誠に弓矢都っての面目です。」 そう言うやいなや1尺3寸平作の脇差を腹に二回刺したが、切っ先が五寸ばかり背に貫いた。 更に刀を取り直し、首に押し当て、左右の手をかけて、前へと押し落とすと、頸は膝に抱かれ、身体はその上に重なった。 これを見た人は目を驚かし、諸人一同に「嗚呼」と感じ入った。 木村常陸も摂津茨木にて腹を斬った。その子木村志摩助は北山に隠れていたが、父の最期を聞いて、その日寺町正行寺にて自害して果てた。 熊谷大膳は嵯峨の二尊院にて腹を斬り、白井備後は四條大雲院、阿波木工は東山にて腹を斬った。 有為転変は世の習い、盛者必滅の理とはいいながら、昨日まで聚楽の花の春の宴も、今は野山の秋の露と、皆散り果てられた事も哀れである。 (石田軍記)
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849 :人間七七四年[sage]:2017/01/11(水) 22:08:46.83 ID:JXo5ixzE - 井伊直孝がやったなら、秀忠はむしろ最初の報告だけで改易するだろ。福島のは激甘裁定だぞ。
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