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423 :人間七七四年[]:2016/12/16(金) 06:13:05.59 ID:cGxjSaEe - 松江城のギリギリ井戸
堀尾吉晴が松江城を築かせている最中、表鬼門に位置する石垣だけは何度石を積んでも崩れてしまい、工事が終わらなかった。 吉晴がその場所を掘り返させ徹底的に調べた所、そこから一つの頭蓋骨とそれを貫く錆びた槍の穂先が見つかった。 吉晴はすぐさま神主を招いて二夜三日に渡る大祈祷を行って頭蓋骨を供養した所、以後障りなく石垣造りが進んだと言う。 また、頭蓋骨を掘り当てた場所からは澄んだ水がこんこんと湧き出し井戸となり、この時掘った形が頭のつむじの形に似ていた為、当地の方言でつむじを意味するギリギリからギリギリ井戸と呼ばれる事になった。
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424 :人間七七四年[]:2016/12/16(金) 07:00:23.69 ID:cGxjSaEe - 松江大橋の人柱
松江城築城にまつわるもう一つの人柱伝説。 関ヶ原の功で雲州に入った堀尾吉晴は月山富田城に入ったものの、城下町形成の為平地にある亀田山の末次城(現松江城)へ本拠地を移城する事を決意。 月山富田城を解体して資材を運ぶには大橋川を通らねばならなかったが、当時はカラカラ橋と呼ばれる竹造りの小さな橋しか無かったので、木造の大きな橋を架ける事になった。 が、洪水や事故などの為工事は難航し、例によって人柱を立てる事に。 人選はこの翌日、一番に橋を渡る者でマチの無い袴をはいた男(横縞の継ぎをした袴という説も)を人柱にすることと決め、その日の朝に運悪くその姿で橋を渡ったのが、足軽の源助だった。 源助は捕まり橋脚の下に埋められ、その甲斐あってか橋は完成、その後、大橋の中央の橋脚を「源助柱」と呼ぶようになったという。 また異聞もあり、人柱を立てる事が決まり人選について皆が悩んでいた際、源助と言う足軽が 「明日、下駄を履いて橋を一番に渡る者を人柱としよう」 と提案。翌日、その姿で真っ先に橋を渡ったのがこの源助当人で、彼は誰もがなりたがらない人柱の役を自ら引き受けたとも言われる。
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425 :人間七七四年[]:2016/12/16(金) 07:11:56.86 ID:cGxjSaEe - ちなみに、このマチの無い袴と言うのは
「まち」がない袴を「行灯袴」と呼びおもに下級武士や足軽が用いたもので、現在は女子が用いる袴はすべて行灯袴であることから「女袴」ともよばれる。 http://i.imgur.com/OzaHeU6.jpg http://i.imgur.com/6aUvzxK.jpg 万一偉いさんが通っても人柱にならない様に配慮したってはっきりわかんだね
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