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人間七七四年
二重公儀論について考察する [無断転載禁止]©2ch.net

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二重公儀論について考察する [無断転載禁止]©2ch.net
430 :人間七七四年[sage]:2016/10/24(月) 07:59:42.02 ID:49S3r9nt
二公儀論は、不完全公儀論としたほうが正しい。つまり徳川政権は、豊臣家の消滅によって完全な公儀を達成したのであり、それまでは不完全な公儀であったとする論である。
その論は、豊臣家の存続が徳川政権の完全な公儀を妨げる程度にあったか否かである。二公儀論は、あたかも二つの公儀が存在したかのような論であるが、それはもはや否定せざる得ない。
しかし完全な公儀を徳川政権がすぐに達成出来たのかは疑わしく、また他の政権をみても完全な公儀に至るまでの過程が存在する。つまりその過程を検証するほうが論理的と思える。
二重公儀論について考察する [無断転載禁止]©2ch.net
434 :人間七七四年[sage]:2016/10/24(月) 17:26:26.42 ID:49S3r9nt
不完全公儀論は、とてもシンプルに説明できる。何故なら公儀状態を完全状態と不完全状態に二元的に処理するから、豊臣家に徳川統治体制が不完全に及んでいたことを不完全状態の公儀と定義できる。
しかし二公儀論は、徳川統治体制が豊臣家に不完全状態に及んでいることに豊臣公儀という積極的意味を主張するが、その論拠が脆弱なだけでなく、論理性もない。
つまり不完全公儀論は、公儀の状態の二元性を認めるが、二公儀論は、公儀そのものの二元性を認めることに論理の飛躍がある。


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