- 関ヶ原合戦の真実 Part5 [無断転載禁止]©2ch.net
453 :人間七七四年[sage]:2016/10/05(水) 08:06:10.16 ID:M/0NJBKp - 小説や講談の話は置いておくとして、家康が義弘に伏見在番を依頼した事は史実。
ただし4月27日の時点の話で、義弘書状によると留守居は御満様(=武田信吉)の予定だった。 義弘は在番の為として兵の上洛を求めるが、庄内の乱で疲弊した国元はガンスルー。 何もできないまま時は過ぎて、家康は伏見には鳥居元忠などを置いて出陣した。 そして西軍が決起するのだが「7月12日」と思われる覚書(旧記雑録後編3巻1132号、1133号)には「伏見の御番を申し出たが断わられた事」「伏見が無理なら秀頼の傍で堪忍したい事」などと記載されている。 伏見在番を徳川方に断られたようにも見えるが、主語が不明なのでなんとも言えない。 仮に徳川方へ申し出たとすれば、京大坂に雑説が広がってる時期に敵か味方か分からんような連中がこんな事を言い出したら断わられても当然だとも言える。 もう一つの可能性は既に西軍に取り込まれつつあったが兵のいない島津が安全圏に逃げ込みたがっていたというのがある。 西軍として取り込まれたのは仕方ないが兵が居ないので伏見か大坂に在番させて欲しいと願い出たとも取れる。 まあもう少し他の史料と絡めて見ないとどちらとも判断しかねる状況ではある。
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