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人間七七四年
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208 :人間七七四年[]:2016/10/03(月) 07:41:08.16 ID:oSdUBz+T
吉川興経の墓と犬塚

http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4213.html
↑1550年、吉川興経が毛利元就の命令で隠居地の布川にて天野、熊谷の手勢に殺害され、吉田にて元就の首実検を受けた後に土中に埋められ石を積み上げ墓が建てられ大勢の僧にねんごろに弔われた。
墓が建って少し後、興経が飼っていた白い犬が興経の墓所に現れると墓の傍で石を枕に眠りだした。
初めの数日は誰も気にしなかったが、4,5日経ってもそのままなので人々は不思議がって犬に餌を与えようとしたが、犬は見向きもせず7日目に飢え死にした。
人々はこの犬の忠義を讃えて主人の墓の傍に犬塚を建てて弔うと共に、興経が襲われる際に彼を裏切って弓の蔓を切ったり青江の刀を刃引きして潰した近臣の村竹宗蔵とこの犬の忠義の魂が入れ替わっていたらと噂したと言う。
(陰徳記)
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209 :人間七七四年[]:2016/10/03(月) 07:52:54.72 ID:oSdUBz+T
>>208にはまた別の話があり、興経が布川(広島市安佐北区深川)で首を切られた瞬間、その愛犬(家臣とも)が飛び出し首を咥えると主人が生前懐かしんでいた郷里(北広島町新庄)へ向けて駆け出して行った。
しかし犬は途中で力尽きてしまい、目前の中山で死んでしまいそこで主人興経の首と共に墓が建てられ、犬塚が建った。
この時興経の首が転がって少し下の位置に落ちた為、犬塚は興経の墓よりやや上に建てられたと言う。


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