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wiki抜粋で凡将名将化 一
凡将を名将のように説明するスレ3

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凡将を名将のように説明するスレ3
345 :wiki抜粋で凡将名将化 一[sage]:2016/09/28(水) 16:37:21.82 ID:v92FYpFL
今川氏真

年表

0歳:天文7年(1538年)、義元と定恵院(武田信虎の娘)との間に嫡子として生まれる。
19歳:弘治3年(1557年)正月、山科言継から書や鞠を送られる。
20歳:永禄元年(1558年)より駿河や遠江国に文書を発給。義元から家督を引き継ぐ。
22歳:永禄3年(1560年)5月19日、尾張に侵攻した義元が桶狭間の戦いで織田信長に討たれたため、
    氏真は名実共に今川家の領国を継承することとなった。
23歳:永禄4年(1561年)に室町幕府の相伴衆の格式に列す。
    また長尾景虎の関東侵攻に対して北条家に援兵を送り、川越城での籠城戦に加わらせる。
28歳:永禄9年(1566年)4月に富士大宮の六斎市を楽市とすることを富士信忠に命じる。
    楽市は有名な織田信長より先んじた政策であった。
31歳:武田氏への共闘を目的に上杉謙信に使者を送り、今川・北条・上杉三国同盟を結ぶ。
37歳:天正3年(1575年)、3月20日に相国寺において公家達と共に信長に蹴鞠を披露。
    5月、長篠の戦いに家臣の朝比奈泰勝を送り、内藤昌豊を討ち取らせる。
77歳:慶長19年(1615年)12月28日、江戸で死去。

和歌

松平定信が随筆『閑なるあまり』の中で「東山義政の茶湯、大内義隆の学問、今川氏真の歌道ぞ」と記す。
氏真は生涯に多くの和歌を詠んだ。観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』には1658首が収録されている。
氏真は、後水尾天皇選と伝えられる集外三十六歌仙にも名を連ねている
(集外三十六歌仙は連歌師や武家歌人が多いことが特徴であり、ほかに武田信玄や北条氏康・氏政も数えられている)。
『故老諸談』には、氏真と家康が和歌について談じたことが記される。
氏真が和歌の道の奥深さや言葉選びの難しさを語るのに対して、
家康は技法にこだわるよりも思いのままに詠むのがよいと返している。


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