- 戦国ちょっと悪い話44 [無断転載禁止]©2ch.net
74 :人間七七四年[sage]:2016/09/12(月) 00:02:56.43 ID:LvRoFsZ9 - 三方ヶ原の戦いの後、武田信玄によって行われた野田城攻め、この戦いの中である夜、
武田方は不意に城を乗っ取ろうと寄せてきた。 野田城中ではこれに気がつくと、敵が近づくのを見計らい。弓鉄砲を一斉に放ち、近づいて 塀に取り付くものには大木を使って突き落とし、必死の防御をした。 ここに、小楠又右衛門という者が野田城南の曲輪を守っていたが、敵がそこに攻めてくるのを見ると、 彼は女房に矢櫃を持たせ、矢継ぎ早に敵に射かけた。彼は弓術の達人であり、あだ矢なく 射続けたが、遂に矢種が尽きてしまった。 ところがここで、矢櫃を持っていた又右衛門の女房(彼女は無双の大力であった)が大石を 礫のように投げ下ろした。これによって、敵には兜の鉢を打ち割られた者、或いは手足を 打ち折られた者が夥しく、慌てて引き退いたという。 (野田戦記) 敵の矢が尽きたと思ったら女ドンキーコングが居たでござるの巻
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828 :人間七七四年[sage]:2016/09/12(月) 11:22:20.28 ID:LvRoFsZ9 - >>827
> 大勢は石田方が有利となり、小早川の寝返りもなかったかもしれない。 もうここで昨今の研究結果から外れている
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830 :人間七七四年[sage]:2016/09/12(月) 11:40:35.45 ID:LvRoFsZ9 - 関ヶ原の宇喜多軍は、慌てて都周辺で集めた牢人兵ばかりで統率がほぼ取れていなかった
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183 :人間七七四年[sage]:2016/09/12(月) 21:04:38.50 ID:LvRoFsZ9 - 野田城主・菅沼定盈の一族に、菅沼柄漏(えもり)という人物が有ったが、彼は本来「弥太郎」という
名であった。 ある年の正月二日、柄漏は定盈に従って岡崎城に参った。この時の御謡初めの酒宴があり、 ここで徳川家康の前で一曲を奏し、柄漏は立って舞った 『指す傘は、えもりはせまい』 という謡であった。家康はこれを大いに気に入ったか、その後彼をいつも”柄漏”と呼んだ。 これにより、彼は本名弥太郎を改め、柄漏と称した。以後その子孫はこの名を相続している。 元祖柄漏は武田信玄の野田城攻めの時には、既に隠居しており籠城しなかった。 二代目柄漏は武田軍の銃撃により戦死した。 (野田戦記) まだあった権現様命名シリーズ
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841 :人間七七四年[sage]:2016/09/12(月) 23:50:13.14 ID:LvRoFsZ9 - >>840
桶狭間の後家康が散々氏真に「義元の弔い合戦」を提案したのを知らんのか。 それを全部無視されて、家康は氏真を見限り信長についた。 お前が何を妄想しようが勝手だが、その文章からお前の無知と不勉強がにじみ出ていることは理解していたほうがいい
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