トップページ > 戦国時代 > 2016年07月30日 > n3UleyDq

書き込み順位&時間帯一覧

12 位/84 ID中時間01234567891011121314151617181920212223Total
書き込み数0000002000000000000000002



使用した名前一覧書き込んだスレッド一覧
1/2
2/2
戦国ちょっといい話44 [無断転載禁止]©2ch.net

書き込みレス一覧

戦国ちょっといい話44 [無断転載禁止]©2ch.net
13 :1/2[sage]:2016/07/30(土) 06:17:50.15 ID:n3UleyDq
小野次郎右衛門遠流の事附御免にて召し帰られし事

 世に愚かな者がいた。両国の辺りに看板を出し、
「剣術無双の者なり。誰でも真剣で立ち向かってこい。
たとえ切り殺されても厭わない。」
とのことを記した。

 都鄙から夥しい見物人が来て、
彼を切ることができず木刀でやっつけられた者は門弟となり、
もっぱらの評判となった。

 次郎右衛門がこれを聞き及んで、

「かのようないかがわしい者を天下の御膝元に置く事ふがいなし。」

と門弟を引き連れて見物に行った。
桟敷でかのいかがわしい者のなせる業を見て門弟一同は微笑していたのを、
かの者が聞いて大いに怒り、
「どうして笑いなさるか!
すでに看板を出しておるように、誰でもあれ真剣で試合しようと言っている。
笑いなさるのならば、ぜひ立ち合ってくだされ。」

と罵ると、傍輩の者が

「あの桟敷にいるのは、将軍家の御師範次郎右衛門です。」

と押し留めたが、全く聞き入れなかった。

「たとえ御師範であろうとも」

と申し止らなかったので、次郎右衛門も嘲られては武備の恥辱と、やむを得ず下へ降りて

「しかる上は立ち合おう」

と、鉄扇で立ち向かわれた。
かの者は正眼にかまえただ一討ちと切りつけたので、あわやと思われたが
いかがわしき者の眉間は鉄扇で打ち砕かれ、二言なく果てたという。

この話を大猷院様(家光)が御聞きになられ、
「師範たる者の行状ではない。」
と遠流を仰せ付けられたとか。
戦国ちょっといい話44 [無断転載禁止]©2ch.net
14 :2/2[sage]:2016/07/30(土) 06:18:12.16 ID:n3UleyDq
 その後のことである。流された先の島では畑の瓜・西瓜を盗み食う曲者がおり、
捕らえようと島中の者が集まっていた。
しかし、盗人は大勢に手を負わせ、瓜小屋に籠り、小屋の周りに西瓜・瓜の皮を並べて、
捕り手の者が込み入っても瓜の皮を踏んでしまい身体が自由にならず、
多人数が死傷を負ってしまった。

次郎右衛門の元へ島の者どもが来て、

「なにとぞ捕らえてください」

と嘆くので、次郎右衛門は粗忽にも軽々しく脇差をおっ取り駆け行った。

「瓜の皮で足場がよろしくありません。」

と傍らから申してきたが、耳にもかけず駆け行き、やはり瓜の皮を踏んで仰向けに倒れてしまった。
待ち受けていた曲者は拝み打ちで打ちかけたが、
小野派の神妙といわれる太刀筋で、滑りながら脇差を抜き払って、上へ払うと
曲者の両腕ははたと落ち、すぐに召し捕らえられたという。

この趣が江戸にも伝わり、召し帰され、即時に元の禄を下されたという。

さて、次郎右衛門が召し出された時、、
「彼は遠流でしばらく剣術の修行を怠っているだろう。
我は日夜修行してきたので、立ち合って成果をみせてやろう」
と、大猷院様の思し召し、毛氈を敷いて、木刀を組み合わせて
「いざ、次郎右衛門、立ち合え」
との上意をされた。

次郎右衛門は謹んで毛氈の端に手をついて居た。
ただ一打ちにしてやろうと御振り上げ御声をかけられた時、
毛氈の端を取り、後ろへ引いたので、後ろへ御転びになられたという。
よって、大猷院様は御信仰なされ、一刀流を御修行なされたという。
(耳袋)


※このページは、『2ちゃんねる』の書き込みを基に自動生成したものです。オリジナルはリンク先の2ちゃんねるの書き込みです。
※このサイトでオリジナルの書き込みについては対応できません。
※何か問題のある場合はメールをしてください。対応します。