- 龍造寺氏と、たまには鍋島氏を語るスレ2
640 :人間七七四年[sage]:2016/07/29(金) 18:38:18.15 ID:g5MYcjGB - 天正14年12月24日
羽柴秀吉、毛利輝元(「毛利右馬頭」)へ九州征伐に先立ち全7ヶ条の「条々」を発す。 宇喜多秀家(「羽柴八郎」)・羽柴秀長(「中納言」)らの出陣予定と秋月種実(「秋月」)・龍造寺政家(「龍造寺」)は 「殿下御下知次第」になったことと龍造寺政家(「龍造寺」)の筑後国方面に於ける戦勝に触れ羽柴秀吉(「関白殿」)の出馬 以前は軽率な動向を戒め、今度の豊後国で「若輩之奴原」が羽柴秀吉(「殿下」)の「御置目」に違反し「不届動仕越度を取」 ったので仙石秀久(「仙石権兵衛尉」)へ「跡職闕所」を命令し讃岐国の件は尾藤知宣(「尾藤左衛門尉」)を「奉行」に任命 することなどを通達。そして羽柴秀吉出馬に備える防御態勢を調えるよう命令し、島津氏との境界にある要害の守備の徹底、 島津氏に対する軽挙を戒めるなどの指令を下す。〔「毛利家文書」B‐951〕 この「殿下御下知次第」は毛利が既に秋月と龍造寺を調略済みだとしているのか それとも秋月と龍造寺は秀吉の気分一つでどうにでもなるという事なのか
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