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720 :人間七七四年[sage]:2016/06/14(火) 20:20:08.45 ID:dzuNT2ui - 文禄の役でのこと。
文禄元年10月18日、朝鮮に派遣されていた伊東祐兵は駐屯していた鐵原より出陣、19日早朝に 朔寧の城を攻め落とし、400名余を討ち取った。 するとその後、日本軍が占拠している王城(ソウル)において、朝鮮人が群集し、痛く泣き 哀しんでいた。不審に思った石田治部少輔(三成)が彼らに理由を尋ねると、このように答えた 「鐵原の上官(伊東祐兵)によって、朔寧の監司を討ち取られたとの事なのです。それ故に嘆いて いるのです。」 石田はこの事を伊東祐兵に伝え、急ぎこの監司の首を送るように言った。 この使いに伊東祐兵は大いに驚いた 「夜懸けであったので切り捨てにしたため、大将を討ち取ったことも知らなかった! 急ぎその首を探すのだ!」 そして落合九右衛門尉、川崎又右衛門尉両人に、士卒70を付けて朔寧城に派遣した。 両人は朔寧に住む朝鮮人二人を捕え、監司の死骸について問うたが、彼らは有無の返答も しなかった。この態度に落合、川崎は大いに怒り、即座に一人を惨殺した。 すると残った一人は大いに怖れ、死骸のある場所を知っていると白状した。 そこで彼を先に追い立て案内をさせた所、朔寧城から三里ほど奥にある松山に入った。 ここには墳墓が多くあったのだが、監司を埋めた所は墳も築かず、上に木の葉などを撒き散らして 何事もない体に偽装していた。 落合たちは士卒に命じてこれを掘り出し、死骸は長持に入れ、金襴の類にて包んだ。 冬のことであったので、色もほとんど損じていなかった。 そして首を斬って持ち帰ると、すぐに王城へと送った。 この首は中台門に曝されたが、朝鮮人はこの首の前を通る時、必ず再拝して泣いたという。 (日向纂記)
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