- 少弐氏について語ろう
357 :人間七七四年[sage]:2016/05/29(日) 21:42:10.64 ID:qiYDk3w/ - 北肥戦誌より大内義興が足利義尹を奉じて上洛した際に同伴した九州の大名
筑前国:秋月種貞・原田興種・麻生元重・高橋親種・立花親載・宗像氏重 筑後国:星野親實・草野親永・蒲池治久・田尻種久 肥前国:渋川尹繁・横岳資誠(少弐資元名代)・千葉興常・龍造寺家和・龍造寺家兼・波多治・草野永信・平戸興信・有馬尚鑑・大村純治 肥後国:菊池義国・相良義滋 薩摩国:島津勝久(島津忠昌名代) 日向国:伊東祐秀 豊後国:大友の一族一同 豊前国:城井正房 対馬国:宗義盛 義興が上洛中の少弐資元は肥前内の親大内派攻撃に努めている 資元が正式に大宰少弐職を得たのが永正十四年、これは義興と義尹・細川高国の関係悪化で 足利将軍家・細川と少弐の利害関係が一致した結果と思われる 資元が大宰府奪還を掲げて挙兵したのは享禄元年、まず松浦郡に攻め入って松浦党諸氏を従えてから 糸島周辺を占領、そこから討って出て大宰府を奪い返した 義興は少弐の追討令を幕府に催促し続けている最中に病死、あとを継いだ義隆が少弐の追討令を幕府から引き出したのは享禄三年 これを受けて資元は筑前の占領地を放棄し肥前に撤退、勢福寺城を根拠に大内軍を迎え撃ち ここで世にいう田手畷の戦いが起こる
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