- 岡山の城
402 :人間七七四年[]:2016/02/15(月) 12:28:54.81 ID:bRutLmRC - 砂山、西田井地、高畠と畝竪群、高切岸と良好だったが何故かスレ表示できてない。
{玉野市、高畠城}で検索を。 矢掛町、山田古城 古くより城跡と伝えられる。城主蓮地和泉九郎とされる。 隣の城と峠を監視するように築かれてる。角度から急峻な山。 地元でどう思われてるか知りたく三人ぐらい尋ねるが城認識はなく、猿掛城や 隣の船ヶ迫山城を教えられる。城途中まで畑あり作業されてる方に「道はない、 行きたいなら猪柵越えていい」と許可をもらうが、柵を壊しそうで無念だが諦める。 猪糞多く注意。 他県の有名城より地元の小城に興味がある身としては、峠封鎖の関所には絶好地で 、コンパクトに何かありそうな城山だが。
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403 :人間七七四年[]:2016/02/15(月) 12:49:33.40 ID:bRutLmRC - 矢掛町、庄氏館(花房氏館)
鎌倉以来猿掛の城主で、備中の至る所に一族を配し、庄氏全盛時代を誇った。 土塁の名残らしい高まりあり。 「御土井」と看板。近くには立派な庄屋門。微高地?で竹薮手前には庄氏館と小石碑あり、 隣には一部重複と言われる花房氏知行所址と石碑。 裏の竹薮に進入するが、藪隅に低土塁が石碑方面長く伸びてる(内部は藪で 簡素見だが遺構らしきは見れない平地)。 畑に接する横隅部にも土塁?や石垣らしきあるが、館遺構か知れない(藪内に 上部をセメントで固めた、現在でも深く水を湛えた石組井戸があるが城遺構か) 簡素見で竹薮内が本丸で?、周囲を土塁で囲ってたのかもしれない。 藪背後に祠を奉り、付近も平地?の畑や民家で配置想定できそうで?、弓場、馬場など いつ命を落とすか知れない乱世にあって、戦国武者が武練や教養を磨いてたか。 隣に古そうな江戸時代?の庄屋館があり、戦国城が下地となり後世館に便利よく利用されたか。
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404 :人間七七四年[]:2016/02/15(月) 13:07:02.67 ID:bRutLmRC - 矢掛町、原ノ砦
水田から比高50、60m。猿掛城の出城だったと伝えられる。 庄氏館近く、宝泉寺向かいの山魂先端の円形?小山。 小川から藪こき、相当藪が酷く丘上までが猛烈竹藪で絶望的気分。 削平された帯郭状の二ノ段に到着し、主郭を囲うように横堀と一部土高まりが巡る (堀先に井戸穴らしきや主郭へとつながる通路があり、堀は後世排水設備?)。 4m?ぐらいの切岸登れば、そこが頂上主郭で、こちらも削平されてるが猛烈藪。 2城目で藪コキ体力限界で、コンパクトだけに城遺構見れるかと期待したが、 城内が猛烈竹藪で規模、遺構などほとんど見れず。 城らしくも見えるが低丘だけに畑改変も考えれるか。 少し離れから臨んでも二段あるのが確認でき、楼台か何か建てていたか(主郭も 極狭ではない)。 輪郭式に城館が築かれていたのかもしれない。 猿掛城の出城とは確かな理由があるか。
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405 :人間七七四年[]:2016/02/15(月) 13:36:23.99 ID:bRutLmRC - 矢掛町、要害山城(追記)
山本の城、妹尾の城として城主江木平四郎がある。 東、西、堀切から北にも段が続いている。 国勝寺横山道から藪コキ。 加工岸が出迎えてくれ、尾根に4段?ある(後世道か虎口3?、浅堀、郭内に珍しい? 巨大?2m土塁土橋で厳重警護に囲い、土止め石垣で補強した微穴跡?らしきあり 、井戸守土塁?)。 広くとられた主郭到着(背後に土塁、腰郭2?、窪み)。裏の尾根続きは二重堀切で 断ち切る(そこから藪酷く止める)。 主郭から北西にも帯郭、犬走り持つ長く4段?あり、(郭内に郭が二重構造?に土台とし造られてる)。 先端郭の谷下途中には石垣を持つ堀切土塁が構えられ、更に下谷周辺にも竪堀など 遺構あるが止める。 谷と加工された崖に守られ段形造成も丁寧な遺構良好で、堀切など当時の緊張感が伝わる。 遠望角度から緩やかな?200mの?低山だが、主郭から三方?(一部想定)に郭を配し、 単に郭を並べる一辺倒でもなく、郭内に幅をもって県内では珍しい?用途不明?の構築物を築き(少し 近いのは矢掛岩屋山城?あるが)、一部?谷にまで神経を使い、隣の茶臼山城で存在感が薄れるが、 見れた範囲で放射型?連郭式に10段近くあり、やや大きく確かな造りで、縄張り図の何も知らないが、 描くのに丸1日はかかるか。 採掘場が近くに迫ってる?のが気になるが、刀を提げた一体誰が築いたのだろう。 討死者も後世人は誰も知るよしもないが出てるのだろうか?。
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