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人間七七四年
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263 :人間七七四年[]:2016/02/04(木) 21:44:32.83 ID:3DvQj37O
萩田主馬という武士がいた。謙信の小姓を務め、景勝の代は武者奉行を務めた。
文禄の頃に、景勝に不満を持ち出奔し、結城秀康に召し出された。

そんな主馬のことを、城和泉という人物が駿府で悪く言っていた。
それを聞いた家康は「お前の父こそ越後にいたが、おまえは甲州生まれ。
なぜ上杉家中のことを知っているか。武勇などはその家中にいて見聞きしたものが言うことが正しいはずだ。」
と和泉を叱責し、その場にいた元上杉家臣の畠山入庵親子に主馬のことを尋ねた。
すると入庵は「彼は私と同じ組に所属し、まだ孫十郎と呼ばれていた頃、越中の戦いで一番槍
の武功を上げました。また、三郎景虎との戦いの際も、北条丹波守ほどの猛将に槍をつけました。
それ以外にも小さな手柄がいくつかあります。」と言った。
それを聞いた家康は「和泉の言ってることと全く違うようだ。これほどの男がまだ小身では、
他のものに示しがつかん。越前の息子は気がきかぬもんだ。」と上意にて主馬に越前内1万石を与えた。
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266 :人間七七四年[]:2016/02/04(木) 22:14:55.41 ID:3DvQj37O
新発田尾張守長敦の弟である新発田因幡守治時(重家?)は剛強第一の兵にして、多くの武功をあげた。
謙信が小田原城を攻めた時のこと、明日ここを引き払うとしてそのための備えを示した。
するとまだ十六歳だった因幡守はこれを見て「この備えはよろしくない」言った。
謙信はことのほか不快に思い、散々に叱り飛ばした。
しかし因幡守は少しも屈せず、「であれば私にお暇をくだされ。そうしたら小田原に入り、
北条氏康に兵を借りて越後勢を追撃しましょう。この備えであれば打ち勝つことができ、
酒匂川の辺りでお屋形様を打ち取れるでしょう」と言った。
すると謙信は機嫌が直り、因幡守の言うとおりに備えを直した。

「上杉諸士書上」より


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