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人間七七四年
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103 :人間七七四年[sage]:2015/12/17(木) 03:19:56.94 ID:pFfurwkJ
ある人が林羅山に問うて曰く、「孝経の、『身体髪膚は父母に受けたり、敢て毀ひ
傷らざるは孝の始なり』というのは、自分の姿形は皆父母の身を分けたものだから、
少しも損ない傷つけないことが孝の始まりであるということだ。

ところが、礼記には『戦陣勇ならざるは孝にあらず』とある。免れて延命すれば
身体を損なわず、勇み進んで戦い死ぬ時は身体を損なうのみならず命をも失う。
これを孝とするとは何ぞや。こうであるのに、2つのどちらを取ろうというのか」

羅山は答えて曰く、「『我が身をつつしんで身体をやぶらず、父母全くして生む、
子全くして帰すべし』。これは姿形だけでなく心にも僻事のないようにという教えだ。
姿形でさえ損なわなければ、このように孝である。ましてや、心ならばなおさらだ。

あるいは、もしも戦いに臨んで死ぬべき時に死ななければ義ではないわけだが、
義をやぶるということは心を損ない傷つけることだ。どうしてそれが孝となるだろう。

中途半端に生きて恥辱をかき、親の名をも汚すのは不孝である。ただし死ぬべき
ではない時に死んでは愚かにして孝ではない。それゆえ、孝と義との2つながらも
背かずに、軽きを捨てて重きを取ることだ。小を捨てて大を取ることである」

――『儒門思問録』


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