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981 :人間七七四年[sage]:2015/11/13(金) 00:44:09.19 ID:YZvVgPpg - 義光と宗教
山形の最上義光という人は仏教に留まらず、神教や修験道や古道など、様々な宗派を厚遇した 自身は禅宗に帰衣していたが、室(妻のとしよ姫)は浄土真宗で、人に頼まれ法華経を唱え、三河や甲州から武田旧臣の秋山某を浅間神職として招き、野州の大田原某を古峰社別当とした そのため城下には寺社仏閣が入り交(混)じり、龍門事(最上義守の葬儀)にはどの寺を上位にするかですったもんだがあったと言われる 「山形の昔話」
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633 :人間七七四年[sage]:2015/11/13(金) 02:21:42.10 ID:YZvVgPpg - 小僧丸参上!
「青木某様 従来通りの知行を預置候(お預けします) (天正17・1589年) (鮭仮面もとい最上義光こと)谷地小僧丸(より)」 「河北青木家文書」ほか 青木家は先に暗殺された白鳥長久の重臣の家柄 40歳を過ぎた最上義光が何故に「小僧丸」と安堵状に署名したのかはわかっていない
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634 :人間七七四年[sage]:2015/11/13(金) 06:51:42.54 ID:YZvVgPpg - 草苅将監の憂鬱
天正13(1585)年、天童八楯の盟主一色大夫(天童頼久)の治める天童城は勢い盛んな山形義元(最上義光)の軍勢に攻められていた 緒戦は数に勝る天童軍が優勢だったが、天童八楯の一翼楯岡満英の庶流の楯岡右馬頭(楯岡満茂)が山形勢に靡き、戦況は膠着状態となった ときに天童頼久の下には沼沢伊賀といった美童がいた しかし伊賀が優れているのは容姿だけで、元来無知文盲で女の胸中に似た嫉妬深く名誉欲の強い男だったので、 崇められる事を喜び、気に入らない者を頼久に告げ口し追いやる等、天童城内で好き放題をしていた 天童氏重代の家老職にあった忠臣の草苅将監は男色に耽(ふけ)り沼沢伊賀の専横を許す頼久を諌めたが聞き入れられず 伊賀は天童方の主戦力の要であった野辺澤能登(延沢満延)の名声までもが気に障り、満延に頼久の権威を笠に様々な嫌がらせをした これを知った義光の軍行(奉行?)の氏江尾張(氏家守棟)は策を講じ、満延を寝返らせ味方とした最上軍は一気に攻勢へと転じた 満延が最上軍に降った後の天童城では味方の兵の夜逃げが相次いだ いよいよ敗戦を悟った将監は夜闇に隠れ主頼久を奉じて陸奥の国分盛重を頼って落ち延びた 「天堂(天童)古話」「天童の昔話」 しかし翌年伊達政宗の援助を受け天童家の再興を信じ、天童出兵を図った将監だが、最上家を出奔して伊達領に逃げて来たと思われた最上義光の放った刺客の手に掛かりあえない最期を遂げ 主柱を失った頼久は兵を起こす事も出来ず、天童氏は伊達政宗の客人としての余生を送った 「伊達治家記録」
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