- 【長久手戦闘】 小牧役を語る3 【信雄vs秀吉】 [転載禁止]©2ch.net
163 :人間七七四年[sage]:2015/05/20(水) 09:49:45.92 ID:QLbDWyQo - 秀吉はできるとなれば光秀、柴田、信雄や宇都宮や南奥州の大名や東北の諸侯を改易しまくったり殺しまくってるし
信包ら他の織田一門の連中を主家を簒奪する過程でいつの間にか政権の隅に追いやり事実上失脚させてる 何の罪もない主家の主君筋にあたる織田信雄にいちゃもんつけて攻め込んだあげく信雄と和睦した後特に理由もなく失脚させてるし 佐々成政にいちゃもんつけて改易したり 関東攻めでも中国計略や朝鮮出兵でも降伏する人々を殺しまくってる 秀吉はかなり残虐な性格だったらしいからね。フロイスの日本史より 関白が都に出発する数日前(1587年2月)全員がきれいな服装をした貴族2、30人を従えて、 ある若者が伊勢王国からやってきた。若者は関白の兄弟だといった。若者の知り合いのほとんどがそれは事実 だと証明した。…関白は誇りと尊大とさらに軽蔑の態度であの男が自分の息子かどうか、認めるのかを母に聞いた。 母はその男を息子として認めるのがとても恥ずかしかったし神様deosを余り恐れなかったし 神様の正義を知らなかったので(本当の事を告白しなければならなかったのに)まるで人間である事を否定するかのように 「そのような者を生んだ覚えはない」といった。その母の話がまだ終わらないうちに秀吉はただちに若者そして一緒に来た人々を捕縛し 秀吉の前に連れて来させて首を切った。首は都に行く道沿いで棒で串刺しにされた。 関白は彼の自分自身の肉体の血筋の者すら(己に不都合とあれば)許すことはなかった。 その後妹も同じように殺されてる。 秀次や利休やその縁者を殺しまくったりしてる所からすると、播磨攻めとかで残る人々を殺しまくったのも 信長ではなく秀吉の指示かもしれないね フロイス第二0章 私は毎日、かの暴君(関白)の卑劣で下品なことどもを数々話し聞かされ、ただただ驚き入るばかりであります。 彼は自らを汚濁と不浄の堆積と化してしまいました。と申しますのも、それ以外に彼を例えようもなく、彼を語り得ないからであります。 彼の野心はあまりにも増長し過ぎた結果、彼をして自らの高位とか尊厳を慮る事を許さぬばかりか、人間本来の勤めまでまったく忘れさせるに至りました。 かくて彼はもはや、人とは申せなくなり、獣よりも劣った物となり果てました。けだし彼には、いかなる環境の人に対しても片鱗の愛情すらなく、金銀を取り立てるためには万人を酷使虐待し 人々をば追放に処して、その封録所領を没収する有様で、彼には他人の封禄を横領するのに道理もなにもないのです。 日本の君候達は、関白の寵愛を保ち、滅ぼされまいとの一念から、心ならずも能力の許す限りの贈物を毎年彼に捧げるのですが、関白はすでに 6 名前: 名無しさん@chs :2014/12/02(火) 11:16:15 ID:9c5dfae37 フロイス日本史22章より。関白はすこぶる狡猾であったからこの二人の武将(家康と信雄)から、己が身の安全を確保した上でないと、 北条殿に対する攻撃を開始しようとはしなかった。それがために彼はこれらの武将たちに対して並々ならぬ愛情を示し 法外な好意を与え、その関係は主従というよりは、むしろ同僚に対してのように思われた。このようにして彼らは関白から強力な指示を得、 かつ彼と結ばれていたのである。 あるときなど、関白は家康を援助するために、金九万クルザード近くを無償に与えた程で、日本では例を見ない事であった。 さらに彼はこれらの武将にたいして、北条殿の諸国を制服した暁には、それらを彼らと分かち合おうと言い、漸次このやり方でもって 彼らを自らの支配と命令下に置く事を成就した。 そして彼らを政庁へ召還し、戦端を開くにさいして安んじて通過できるようにしようと、彼らの主城を明け渡し さらに用心のためその守備兵を自分の兵と交代させたいと要請した。 …関白はきわめて抜け目なく用心深い人物であり彼らからは人質をとって常時手許に留めており時には贈賄によって篭絡するかと思うと 自らに有利とみれば厳重な懲罰をもって彼らに臨んだからである。 特に全ての武将達が関白に大いなる恐怖心を抱いていた。 関白は彼らに対してほしいままに振舞うを得たのである。
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