トップページ > 戦国時代 > 2015年05月15日 > BTdMBp9q

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人間七七四年
戦国ちょっといい話42 [転載禁止]©2ch.net

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15 :人間七七四年[sage]:2015/05/15(金) 01:45:56.17 ID:BTdMBp9q
家康公の危機を救った満光寺とニワトリ


元亀年間家康が若い頃、甲斐の武田信玄に敗れ、山の吉田まで落ち延びて来た。
夕方のことで疲れも激しく途方に暮れていたところちょうど満光寺という寺が目に止まった。

そこで住職に一夜の宿を頼んだ。住職は家康たちを一旦見て戦乱の常とは
いいながら大変気の毒に思い、心良く泊めることにした。

家康はたいへん喜んで住職にお礼を述べ更に

「ご住職誠に相済まぬが、私どもに故あって明朝早立したいと思う。
 よって一番鶏が鳴いたら必ず起こして戴きたい。」

と頼んで寝についた。そして真夜中になった頃であった。
不思議なことにその夜に限って、寺の鶏が真夜中に刻を告げた。
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16 :人間七七四年[sage]:2015/05/15(金) 01:46:54.12 ID:BTdMBp9q
住職は随分早く鳴いたものだ、と思いながらも約束のことを思い、早速家康たちを起した。
家康たちは厚く住職にお礼を行って大急ぎで闇の中を出発した。

ところが家康たちが去って間もなく、武田の一隊が家康討伐のために寺を包囲したが、
家康一行は一瞬の差で危機を脱することができたと伝えられている。

後天下を統一した家康は、満光寺の鶏によって危うく命を救われたことを思い
寺領三石を与えて恩に報いたという。

その後、慶安二年(一六四九)三代将軍家光から寺領二十石が与えられた。
「山の吉田の満光寺さまの、とりになりたやにはとりに」
と今でも民謡として唄いつがれている。


以上、昨日ドライブで立ち寄った青龍山満光寺の立て札から書き起こしました。


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