- なぜ、徳川家康は嫌われるのか? [転載禁止]©2ch.net
152 :人間七七四年[sage]:2015/04/21(火) 22:12:42.83 ID:NJt7NdDf - >>119
いやいや家康ほど戦争ばかりの人生はないだろ ・今川の尾張攻めで先鋒を無理矢理勤めさせられる ・桶狭間合戦で主君義元が殺される ・貧国で一向一揆が根強い三河の数郡の小領主として独立する ・三河一向一揆で、家臣が二分するような危機に追い込まれる ・自国より遥かに強大な国力の今川や武田の侵攻を次々に受ける。 ・自国より遥かに強大な武田の侵攻を受けながら、信長の畿内平定戦に次々刈りだされる(金ヶ崎の侵攻戦、上洛戦、滋賀の陣、姉川の戦い、長島侵攻戦、岩村攻囲戦など) ・自国より遥かに強大な武田の侵攻を受けながら、信長からはろくな援軍が来ない ・自国より遥かに強大な武田に苦戦している間、信長が内訌や内紛、有力者の病死に付け込んで火事場ドロして版図を拡張したため 従属に近いような関係を強いられる。 ・自国より遥かに強大な武田に苦戦している間、信長が内訌や内紛、有力者の病死に付け込んで火事場ドロして版図を拡張したため 従属に近いような関係を強いられ、信康を命令で殺される ・ろくな援軍もなく、長年武田相手に敢闘し、単独で抑えてきたにもかかわらず、武田攻めでは駿河しかもらえない。 ・堺で穴山と遊行中、信長が本能寺で殺され、同行してた穴山が殺され、家康も襲われて危うく死にかける ・命からがら戻ってきたものの、元の国力がしょぼ過ぎ、同盟者家康には大義名分に欠けるため、ろくな兵が集まらず、光秀討伐に行けない。 ・信長が死んだ後の信濃・甲斐に上杉景勝と北条氏直が進出してくる ・北条との同盟後も、天正11年・12年と上杉景勝が揚北や越中戦線を放り出してまで川中島侵攻を続けてくる ・秀吉が馬鹿みたいな大軍を率いて、しつこく侵攻してくる。 ・圧倒的に秀吉軍を蹴散らしまくってたにも関わらず、織田信雄がマンマと和議に応じ、家康も応じざるをえなくなる ・天正11年に領内で大洪水が起きて、その対応に追われ、徳政令を連発するハメになる ・天正12年に木曽義昌、天正13年に小笠原貞慶・真田昌幸・石川数正・水野忠重が離反し、領内の軍事機密が露見する ・秀吉死後、自分を敵視した奉行衆らが、自分を暗殺する計画を企てる ・秀吉死後、自分を敵視した前田が、天下の差配を牛耳ろうと威張り散らす。 ・秀吉死後、自分を敵視した上杉が、自分の命に背いて、領内に立てこもり、戦線布告する。 ・秀吉死後、自分を敵視した輝元や三成らが、規格外の大軍を率いて馬鹿みたいに戦をけしかけてくる。 ・藤堂隊や黒田隊、細川隊などが弱過ぎて、寡兵でろくな戦闘経験もない雑魚三成相手に苦戦し、あやうく負けかける。 ・関ヶ原後も、秀頼や幸村らが巨大な富と、戦国一の堅城大坂城に大軍で立てこもり、自分に歯向かう。 ・ヨボヨボのジジイになっても、息子が無能すぎて頼りにならないため、仕方なく自分が采配を振るって前線まで一々出かける。
|