- 果たして今川幕府創立は可能だったか?
860 :人間七七四年[sage]:2015/03/20(金) 07:41:03.74 ID:8K02HH1m - >>857
領国化にそんなにかける必要ないでしょ 信長が尾張統一したのは、桶狭間のほんの一年前 それまではバラバラの国だった 信長が国内の主だった勢力を潰したうえに、信長に対する忠誠心が育つほどには 統治もしていない状態 唯一、信長に対抗しうる勢力だった服部党は、義元侵攻時にすでに今川方として 参陣している 今川氏が信長を倒すか降伏させれば、尾張国人たちは争って義元の下へ集まり、 自分の領地を安堵してもらう代わりに、今川氏へ奉公するだろう さらに、桶狭間の翌年には、信長を苦しめた美濃の斎藤義龍も死ぬ 信長の調略にすら応じた西美濃三人衆だから、強大な今川義元にはたやすく 降るだろう そして、伊勢は南伊勢の北畠氏以外は弱小・零細国人の集団でしかない
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- 果たして今川幕府創立は可能だったか?
869 :人間七七四年[sage]:2015/03/20(金) 19:30:55.22 ID:8K02HH1m - >>804
> そいでもって今川は継承権の「ある」分家、地位はこちらの方が上なの。 > 元々地位の高い人がわざわざ地位の低い人用の職を望むと思う? 「地位が高い人」は本家の吉良氏の話 「足利家に何かあった場合にこれを継ぐため、家臣の職である管領・侍所 所司(いわゆる執権)・守護には就かない」 というルールに基づいて、吉良本家からは1人も管領・所司・守護になった 者は出ていない 分家の今川氏は、吉良宗家の継承権があるから、それによって足利宗家 継承権も持つものの、吉良氏よりは下の存在で、三管領家よりも当然下 だから、駿河今川氏の初代・範国以降、守護職は定番の家業だし、 侍所頭人も副将軍、御相伴衆といった足利家臣としての職に就いている 「将軍になるには、今川氏としてではなく足利義元として室町幕府の将軍 になる」という>>805や>>821の指摘は正しいが、正確にいうならば 「将軍になるには、今川氏としてではなく、まず吉良宗家を継いで吉良 義元になる→さらに足利宗家を継いで足利義元になる」という手順が、 本当であれば必要になる もっとも、戦国時代だから、今川義元のままでも実力と金にモノを言わせて、 朝廷から将軍位を引き出すことは可能だろう 国氏 三河国今川荘地頭 基氏 遠江国引間荘地頭 範国 遠江・駿河守護 範氏 駿河守護 泰範 幕府侍所頭人、 駿河・遠江守護 範政 征夷副将軍、 駿河国守護 義忠 駿河守護 氏親 駿河・遠江守護 氏輝 駿河・遠江守護 義元 駿河守護職 氏真 幕府御相伴衆
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- 果たして今川幕府創立は可能だったか?
871 :人間七七四年[sage]:2015/03/20(金) 19:52:16.72 ID:8K02HH1m - >>868
尾張国の国持ち大名としての兵力ならかなりの兵力はあるが、 今川軍優勢を見て、多くの国人は様子見か、逆に今川軍に付いたので こんなもの 信長本軍 2000 丸根砦(佐久間盛重) 500 鷲津砦(織田秀敏) 500 善照寺砦(佐久間信盛) 500 丹下砦(水野忠光) 200〜300 中島砦(梶川高秀) 100〜300 清洲城 ? その他の城 ? 清洲籠城となれば、清洲城守備隊が本軍に合流する代わりに 脱落者も出るので、せいぜい3000 城下の老人・子供をかき集めて5000ぐらいじゃないか?
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