- 戦国ちょっと悪い話41 [転載禁止]©2ch.net
545 :人間七七四年[sage]:2015/03/11(水) 00:02:34.27 ID:aFyOPpo+ - 薬研藤四郎
明応の頃のことである。 畠山政長は細川政元のために包囲され、ついに自害に及ぼうとした。(明応の政変) 彼は帯びていた吉光の担当を抜くと、もろ肌脱いで腹に突き立てようとした。 しかしどうしても切れない。三度刺したが腹が切れないのである。 政長は怒って吉光の短刀を投げつけた。ところが、それは傍らにあった薬研に当って貫いた。 長政はこれを眺めると 「累代の短刀、さすがにその主人を殺すに忍びないと見えるわ」 そう嘆じた。 その時重臣の丹下備前守、自身の帯びた信国の短刀を抜き放ち、自分の体や腿を刺して試みた上で 「殿、この刀、切れ味よろしゅうござる」 そう言って渡した。そこで政長は快く腹を斬って斃れた。 この藤四郎吉光作の短刀は、薬研を貫いたという所からその後「薬研藤四郎」と呼ばれ、 後に松永弾正(久秀)の手に入って秘蔵されたのであるが、更に織田信長に献じられた。 しかし本能寺の変とともに消えた。 (古今名家珍談奇談逸話集)
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- 淀の方を再評価しよう PART3〜官兵衛の宿敵?
58 :人間七七四年[sage]:2015/03/11(水) 09:06:43.88 ID:aFyOPpo+ - >>56
> 法を握ったといえる人物が > 滅ぼそう殺そうとしてるのに打てる手なんて早々ないだろ そもそも徳川はギリギリまで豊臣を滅ぼそうとはしていない。淀も徳川に人質に行くことを了承していた。 滅んだのは過激派に祭り上げられた秀頼が考えもなく徹底抗戦を主張したため
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- 淀の方を再評価しよう PART3〜官兵衛の宿敵?
60 :人間七七四年[sage]:2015/03/11(水) 11:30:07.75 ID:aFyOPpo+ - >>59
> どの道、徳川との争いは避けられないからな それが「結果論」ってやつだ。 きちんと状況を見ていけば、何度も戦いを止めるチャンスはあった。 それをことごとく潰したのは豊臣家、と言うか戦いたがりの秀頼とその取り巻き。
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62 :人間七七四年[sage]:2015/03/11(水) 11:58:18.05 ID:aFyOPpo+ - >>61
はいはいすーぐそうやってレッテル貼りに逃げるな馬鹿は
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551 :人間七七四年[sage]:2015/03/11(水) 19:17:49.29 ID:aFyOPpo+ - 八丁念仏団子刺
戦国時代の勇士に、紀州の牢人で雑賀孫市という者が居た。織田信長が石山本願寺を攻めた時、 本願寺方に味方して大いに勇名を轟かせた。 慶長5年7月、関ヶ原の役、伏見の城攻めでは西軍の寄せ手に加わって城将鳥居彦右衛門を討ち取り ますます驍名を天下に上げた。 その後徳川家康に召し出され水戸頼房に付けられ、子々孫々水戸家にあって千石を領した。 この雑賀孫市の佩刀に『八丁念仏団子刺』という太刀があった。その名称の由来にこのような挿話がある。 ある月の明るい夜、孫市は自分の佩刀の切れ味を試そうと思い辻に出た。すると寂しい道を、 念仏を唱えながらトボトボと歩いてくる人影が見えた。孫市はいきなり馳せ寄ると、袈裟懸けに斬りつけた。 確かに手応えはあった。が、不思議なことにその斬られた男はなお念仏を唱えながら歩いて行くではないか。 孫市は首を傾げながら、刀を抜き身のまま杖について、その男の跡をつけた。 おおよそ八丁ほど来た時、ビタリと念仏の声が途切れたかと思うと、その男は真っ二つになり 倒れて死んだ。 その時杖についていた刀を見ると、往来の石が切っ先に刺し貫かれて、団子の串刺しのようになっていた。 これよりこの刀は『八丁念仏団子刺』と名付けられ、当時「雑賀の八丁念仏」と言って、名誉の太刀と されていた。作は備前の行家で、二尺九寸物。今は小梅の徳川家(旧水戸家)に蔵されているという。 (古今名家珍談奇談逸話集)
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