- 戦国ちょっと悪い話41 [転載禁止]©2ch.net
500 :人間七七四年[sage]:2015/03/03(火) 01:10:00.23 ID:gPerzVmy - >>499
・志村光安が織田信長に謁見する際に徳川家康が取次役になった ・小田原参陣直前に最上義守の病と葬儀で遅参の調停を徳川家康が取り成した ・上杉に奪われた庄内領裁判で徳川家康は最上義光を擁護した ・秀次事件の際蟄居されていた最上義光を弁護した など
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688 :人間七七四年[sage]:2015/03/03(火) 02:26:02.39 ID:gPerzVmy - 鬼切丸の話
藤崎の戦いで新田義貞を追い詰めその首級を挙げたのは斯波氏の臣下で越中の住人の氏家重国である。 重国は義貞の佩刀髭切を主家に捧げ、主の斯波兼頼に付き従い奥州へと下向した。 髭切は斯波氏を経て最上家に伝わった鬼切丸の別名である。 氏家重国は氏家尾張(氏家守棟)の祖先と伝わる。 「山形の昔話」
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691 :人間七七四年[sage]:2015/03/03(火) 10:40:20.56 ID:gPerzVmy - 最上義光と天童の狐神
天正の頃(1570〜80年代)、山形の最上義光は天童八楯と山形盆地の覇権を争っていた 義光「この度のいくさは負けられぬものである。神仏よ義光に助力を扶け給え」 義光は東原の尊海を訪ね戦勝祈願を行っていた 尊海「…不穏な気配が致します。義光さま、今度のいくさは拙僧も同道致しましょう」 尊海はそう言うと身仕度を調え義光と共に戦場へと赴く事となった 最上軍が天童境まで来ると、季節に合わず立矢川(立谷沢川?)が増水し、濁流が軍の行方を妨げていた 尊海「これは天童頼貞側のアヤカシが殿を阻んでいるのでございます この尊海にしばしお任せあれ」 尊海が言を成し空に印を結ぶとたちどころに川面は穏やかになった 天童頼貞は喜太郎狐と呼ばれる狐の神を信奉していた 最上軍の道中に喜太郎狐の配下の狐の集団を幻術を使って配していたが、その悉くが尊海の法術によって破られ、最上方は尊海の召喚した神犬の群れによってこれを打ち破った 天童合戦で勝利を得た義光は尊海に大層感謝し、尊海の宝幢寺は功により寺領1370石の大寺院となった 『出羽国宝幢寺興廃記』「山形の昔話」ほか
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692 :人間七七四年[sage]:2015/03/03(火) 11:19:51.59 ID:gPerzVmy - 山寺由緒
芭蕉の蝉の俳句で知られる山寺立石寺は山形城の鬼門に位置し、山形最上家の守護神とされたが、そのために天童氏からは標的とされ、時に狙われる事となった 大永元(1521)年、八楯の天童頼長が立石寺を攻め、堂塔は焼かれ山寺は灰燼と化した 天文12(1543)年に当代円海が最上義守を頼り、比叡山根本中堂から常燈火を頂き立石寺に移して復興し、天正から慶長時代の最上義光の代には更なる庇護を受け、隆盛を極めた 「山形の昔話」
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