- 織田・徳川の清洲同盟を語る
733 :人間七七四年[sage]:2015/02/26(木) 05:42:46.42 ID:gYr4zzbO - 天正14年初頭までは出兵計画を散々部下や諸大名に具体的に話しておきながら
天正14年初頭には信雄を仲介に送って交戦さけてるんだからビビりまくってるからに決まってるじゃん 秀吉は11/20秀吉→一柳 来春の家康攻撃準備を命じ尾張星崎から三河の情報を収集するよう伝えている 天正14年1/9秀吉→上杉景勝では去年申したように先勢を当月に差し遣わし2/10くらいに自身も出馬する 四国・西国の人数其の外兵糧以下の儀は船手を以って申し付けた。2月末・三月初めくらいに海上を自由にできる 其の方の人数は2月中旬くらいに信州へ人馬の足立申すべく候、信州・甲州・関東の儀は申すに及ばず 公事に抜かりないように。信濃へは其の方の人数だけでは足りないだろうから2・3万この方からも木曽口へ使わす 2/10くらいには尾張迄出馬する、などと事細かかに家康討伐計画と上杉の出馬要請を行っている と書いていて、戦争する気満々だったんだよ。 木曽・小笠原・真田・石川・水野が寝返っていて家康なんて100万石弱程度だから しかし秀吉はどれだけ国力や兵力が大きかろうが敵の家臣がどれだけ秀吉方に寝返ろうが 本人の指揮能力や采配能力が糞すぎて雑魚の信雄や輝元や家康には到底敵わないため 、信雄対策には顕如に土下座して仲介してもらって 家康対策には重臣等を篭絡しまくり母や妹を差し出したり関八州260万石と秀吉外戚の地位を土下座して差し出す事で 慈悲深く、寛容で大儀名分を重んじる家康は、秀吉への牙を収めてやる事にした。
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