トップページ > 戦国時代 > 2015年02月13日 > fbpXPaMr

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人間七七四年
戦国ちょっといい話41

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戦国ちょっといい話41
631 :人間七七四年[sage]:2015/02/13(金) 19:53:33.28 ID:fbpXPaMr
信長の小牧山城「当時の技術の限界超える石垣」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150213-00050010-yom-ent

>戦国武将の織田信長(1534〜82年)が1563年(永禄6年)に築城した愛知県小牧市の小牧山城は、3段の石垣(高さ約6メートル)で囲まれていたことが発掘調査で分かった。

>市教委は「近づくと高さ6メートルの石垣がそびえ立っているように見え、若い信長が、部下や敵対する勢力を圧倒する演出効果を狙ったのではないか」と分析している。

>信長は1563年に、居城を尾張国(愛知県)の中心地だった清須城(同県清須市)から小牧山城に移した。
>4年後の67年に岐阜城(岐阜市、稲葉山城)を攻略して本拠を移したため、4年しかいなかった小牧山城は仮の砦(とりで)と考えられてきた。
>しかし、2010年度に小牧市教委の発掘調査で2段の石垣が見つかり、安土城(滋賀県)に先立つ本格的な石垣の城であることがわかっていた。

>千田(せんだ)嘉博・奈良大学長(城郭考古学)は「当時としての技術の限界を超える石垣」で驚いた。小牧山城は、常識にとらわれない信長の人となりが反映された城だったことが改めて分かる発見だ」と意義を語った。

>中井均・滋賀県立大教授(日本城郭史)は「3段目には崩れを防ぐための基礎工事の意味もあったのではないか。信長が築いた最初の城にもかかわらず、非常に計画的で、考えられていたよりも高度な技術が使われていたことが分かる」と指摘している。


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