トップページ > 戦国時代 > 2015年02月02日 > v46v+ulg

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人間七七四年
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351 :人間七七四年[sage]:2015/02/02(月) 17:18:46.62 ID:v46v+ulg
賤ヶ岳の合戦の前、羽柴秀吉は湯浅甚助を呼び出しこう命じた
「汝は長浜に参り。柴田勝家の養子の、伊賀守勝豊の与力共に近づき、弁舌を以って彼を味方に
引き入れよ。伊賀守は、内々、佐久間(盛政)と不和であり、それ故に勝家にも恨みを持っていると聞く。
これ畢竟の幸いである。

何故汝を差し寄越すかといえば、前に長浜城を引き渡す時、伊賀守の家老与力らと、互いに親しく
語り合っていたためであり、それ以上に深い仔細があるわけではない。」

これに湯浅畏まり、長浜表に至って、勝豊の家老・徳永石見守、並びに与力の大境藤八、疋田左近、
山路将監、木下半右衛門、神谷越中守らに対面して、

『今度味方に参られれば、皆様は大名に取り立てられます。ことさら伊賀守様に対しては、
秀吉からは、以前より内々ご入魂に語り合う仲で、今以って些かも疎遠にしようと思っていないので、
各々が進めて秀吉に力を合わせるということになれば、先ずは当分の賞として越前国を参らせ、
その上で時期を見て、北國の総大将に取り立てたいと考えていると言われました。
それ故に、このようにあなた方に申し入れたのです。』

甚助はそのように弁舌を振るい、朝夕に親しく語りかけたので、やがで各々も同心し、主人勝豊に
秀吉の考えを詳しく申し述べて、それに同調するよう勧めた。
しかし勝豊はこれを聞くと
「秀吉がいかに懇切に申されると言っても、父に向かって弓を引く道理があるべきものか。」と
それを喜ぶ気色は全く見えなかった。

それでも右の者達は、勝豊の前に代わる代わる進み出て
「殿の仰る通り、父子に仲違いが在ったからと、敵方に与力遊ばされるのは、我々が無道であるかのように
思われることでしょう。

ですが、殿にはご病身であられる故に、かねがね勝家公の御前も遠ざかられ、父子の御仲も疎遠に
なられたように見えます。
一方で佐久間(盛政)殿は、加州表で優れた働きがあったため、大身と成られ、家中の者達も
甚だ以って尊崇しております。

それに引き換え、殿は勝家公には疎まれ、家中の面々にも、有り甲斐もなく思われており、何の
御面目がありましょうか。

その上勝家公には、御実子である権六殿もいらっしゃいますから、行く末も良き事はないでしょう。
また、勝家公は武略知謀も類ない方ですが、現在は御簾中と成られた小谷の御方(お市)の容色に
耽られ、軍の駆け引きも、以前と違いはかばかしいご方便も無いように見えます。

一方の秀吉公の業績を見るに、知謀勇決は古今に優れ、民を憐れむこと堯舜の如くであり、
殿が日頃から彼と昵懇であるのは幸いの事です。今度の招きに応ぜられ、御合力なされば、秀吉も、
よもやその恩賞を忘れることはないでしょう。行く末北国の総大将と成り給われば、誠に以って
目出度き事ではありませんか。
例え殿がご立身なさらなかったとしても、今度の合戦に秀吉公がお勝ちになる事、鏡に映すように
見えております。
また、無道の父を討ってその子を取り立てる事も、和漢にその例多くあります。

とにかく、行く末頼もしからぬ勝家公に従うよりも、秀吉に与する事こそ、然るべきと存じます。」

このように、様々な言葉で勧めたため、勝豊も終に欲心に引かれ本性を取り失い、
「私もよく考えて見れば、汝らが言うところ、尤もに思う。この事、良きに取り計らうように。」
と認めたため、家老与力の面々大いに喜び、急ぎ湯浅を招いて同心する旨を語り、宜しきように
頼み入ると述べたため、甚助は「仕済したり」と早々に帰り秀吉に報告すると、大いに喜ばれ、
勝豊に来國實の太刀に金子三百両を添えて贈り、その他家老・物主(指揮官クラス)達にも、名作の太刀に
黄金を相添えて先々の事も含めて、当座の褒美として贈った。
(余吾庄合戦覚書)

秀吉による、柴田勝豊寝返り工作についての記事である。


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