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人間七七四年
織田・徳川の清洲同盟を語る

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織田・徳川の清洲同盟を語る
330 :人間七七四年[sage]:2015/01/13(火) 14:30:27.50 ID:enoNks/G
信雄が秀吉を父に仕える如く態度で従っていたため信雄を三法師の守役にしてから清洲会談開始。
そもそも清洲会談の時点で池田や丹羽らを味方につけて派閥を形成して
秀吉のおもうがままに会談を主導。
結果、秀吉(秀長も京以西から河内まで)が大版図を獲得し領国を形成
(大和一円も貰った筒井も秀吉に入魂になっているなど多数派工作を進めていた)
信雄と信孝が名代を争っていたから、結局、三法師後見役も決めていない。

清洲での宿老合意の原則を無視する秀吉は信長生存時からの織田家の敵と戦うことをせずに
宿老会談で政策をはかることもなく、ことごとく勝手に政策を決めていく。
そして一刻もはやく安土へ三法師を移動させることを策する(安土が再建され畿内が静謐になるまで待てない秀吉)
五畿内ことごとく人質を取って磐石な体制を構築する秀吉。
信雄有利の大河切りを秀吉は支持し、信孝有利な河切りの境目を否定し兄弟対立を煽る秀吉。
柴田は双方からちゃんと話を聞いて、奉行を派遣して話合おうと提案している。
堀は三法師ともども岐阜にいるらしい(信雄の千福の仕官話の書状から考えると丹羽も?)

柴田は堀に宿老全員合意の原則を掲げて安土へ御座を移す話をしている。
秀吉の勝手な葬儀が事実上の宣戦布告。それの批判を受けて秀吉が誰が天下の主になるか腕比べしようと挑発。
石川数正への書状によれば、重臣対立の結果、
安土へ三法師がこないことで長く、織田家督者が実質空位で立っていない状態になってので
信雄を安土へ入れ御代にするなど織田主君を秀吉の意のままに廃君し別に擁立する暴虐ぶりを発揮。
(良識に従えば三法師のいる信孝や柴田側にこそ大義名分が存在する)
しかも信孝を降伏させたあとに三法師まで人質として取っている秀吉。

信雄を擁立したが完全に傀儡で、秀吉の息がかかった者が国々の仕置きを申し付けられており
信雄はその者の専横を怒り斬っている。
秀吉にとっては、義昭がやってきたから信雄はもういらないという態度か。
織田・徳川の清洲同盟を語る
331 :人間七七四年[sage]:2015/01/13(火) 14:31:33.89 ID:enoNks/G
継承というなら織田家当主の秀信の部下というのが織田家中での秀吉の立場なんだし
信雄や信孝をないがしろにして大阪築城のために織田家臣の連中を無理やり転封させたり信雄に何ら理由なくいちゃもんつけて攻め込んだり
いちゃもんつけて改易したり
織田家当主のはずの秀信に領土や官位を授けず
美濃の国主としての地位にとどまらせるなんておかしいわな
信包や信張ら他の織田一門もさしたる理由もなく
織田政権から排除されて
どこにいったかわからん状態にまでされてるし
信張信包蒲生池田丹羽ら織田親類衆がいる
それに織田家に仕える身分なら、能力とか関係なく主君の命によって、家臣は政務や軍事を行うのが道理。
しかし清洲会議以降これが逆転し
家臣達の合議によって織田一門の領地などの裁決が行われるという逆転が発生した。
信孝と信雄が国境線争いで対立し始めてるし
さらに秀吉がそろそろ安土へ三法師を!との意見に
清洲会議の屈辱から巻き返すべく柴田が秀吉への反発を強めていて
柴田が畿内がよく治まった上で宿老総意を得て安土へ移す方がいいと
秀吉方だった丹羽に同意を求めて味方化しようとしたが見事に拒否られてる。
(柴田が合意不可能な条件を提示していて、あからさまに三法師を手元から離さない信孝とつながっていたのがわかる)
これが9/3の情勢であり、
その後、11/1になると三法師を安土に移そうとしない信孝の違背から
秀吉は信雄を柴田を除く三家老合意で担ぐことを家康へ書状を出してる。


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