- 【戦術】戦国時代の軍事学【戦略】
796 :人間七七四年[sage]:2015/01/13(火) 14:36:34.70 ID:QnBHyRdV - 鉄砲といえば滝川一益
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- 【戦術】戦国時代の軍事学【戦略】
798 :人間七七四年[sage]:2015/01/13(火) 14:54:55.70 ID:QnBHyRdV - >>797
定期的な訓練は行われていた模様。 そのあたりは「検証・長篠合戦」にも出てる
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- 戦国ちょっといい話41
553 :1/2[sage]:2015/01/13(火) 15:02:47.57 ID:QnBHyRdV - その頃、伊勢平氏葛原親王より続く子孫(桓武平氏)に、伊勢新九郎入道宗瑞という人があった。
伊勢国の住人であったが、壮年の頃より京都に上り、将軍家に奉公していたそうである。 少年の始めより生涯、山野江海において猟漁を好み、馬に乗って悪所を越え岩石を駆け上がる事は、 まるで神変を得ている如しであった。あの造父(周繆王に仕えていた優れた御者)は馬を御して 千里を走っても疲れること無かったと言うが、この新九郎以上ではなかったであろう。 水練もまた、馮夷(ヒョウイ:中国神話の水神)の道を得ており、驪竜頷下の珠(黒色の竜の顎の下にある珠) をも奪うことが出来るほどであり、 弓は養由基(春秋時代の武将で弓の名手)の跡を追う程で、弦を鳴らしてはるかな樹上に居る猿を 落とすほどであった。 彼は謀に巧みで、人を良く観察し、気力健やかで心も不屈であったので、戦場に挑むごとに 敵を退け、堅きに当たり強きを破ること、樊カイ・周勃が得られなかった所を得ていた。 そういう人であったので、似た者たちを友とし、その頃伊勢国に荒木、多目、荒川、在竹、大道寺、 そして新九郎の7人、いずれも劣らぬ勇士たちであったが、彼らは常に近づき共に交遊していた。 ある時この七人、一同に関東へ弓矢修行に下る時、七人神水を飲んで誓ったことには、 『この七人、いかなる事があっても不和になってはならない。互いに助けあって軍功を励まし、 高名を極めるべし。もしまた、一人優れて大名となれば、残る人々はその家人となって、その一人を取り立て、 国々を数多治めよう。』 こうしてそれぞれに東国に下り思い思いに活動する中、伊勢新九郎宗瑞は駿河の国司である今川氏親に仕えた。 そして度々戦功があったので今川殿はその功を感じ、富士郡下方庄を与えられ、興国寺城に在城した。 その頃、伊豆国は山内上杉家の分国であった。伊豆は興国寺よリほど近く、どうにかして伊豆国を 討ち取ろうと、宗瑞は常に考えていた。
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- 戦国ちょっといい話41
554 :2/2[sage]:2015/01/13(火) 15:04:40.75 ID:QnBHyRdV - 伊豆国には、堀越御所と呼ばれた公方があった。この御所は、去る長禄二年(1458)、京都の
将軍である足利義政の舎弟、政友卿が関東に下向あって伊豆国に御旗を立てたものである。 その子孫が今の堀越御所であった。 かの御所の侍に、外山豊前守、秋山新蔵人という忠功の士があったが佞人・奸臣らが彼らの出頭を妬み、 讒言したのを、御所も御運の末であったのだろう、糾明することもなく二人の士を討ち取ってしまった。 これに家中の面々大いに騒ぎ、お互いに疑い合って国中混乱した。 この時、宗瑞は伊豆国に湯治をしてこの有り様を見聞し、「今である」と判断した。 山内、扇谷の両上杉は関東において絶え間なく争っており、伊豆国は山内家の分国であったために 国中の軍兵、並びに御所侍たちも跡を払って関東へと出陣していた。残る兵は僅かであり、これに 宗瑞は大いに喜び、かつて七人の約束をした荒木、山中、大道寺など六人を呼び、また今川殿にも この旨を申して加勢を請い、伊豆に向かって出陣した。 堀越御所は俄なことでもあり、立て籠もるべき兵もなく、いかがすべきと驚き、山林に立て籠もった。 御所の家中の武士の内、関戸播磨守という者名乗り切って出てしばし戦ったが、終に討ち死にした。 その後、堀越殿もかなわずと自害したため、宗瑞は伊豆を侵攻し北条に旗を立て、韮山の城に在城した。 そして『末代に至った凡下の侍は義を忘れ、欲に命を忘れるのだ。』と、多年蓄えた金銀米銭を取り出し、 これを尽く施した。このように民を撫育し軍兵を哀れんだので、伊豆国は申すに及ばず、近国の 牢人達まで、我も我もと韮山殿へと参った。 その中でも伊豆の住人である、三津の松下、江梨の鈴木、火見の梅原、佐藤、上村、土肥の富永、 田子の山本、雲見の高橋、米良の村田などという侍たちも我劣らじと駆けつけた。 彼らは山内上杉の支配に抗い、堀越御所の政道に背いた者達であったが、宗瑞の器量は只人に非ずと それぞれ同心して、皆彼の下知に従うことにしたのである。 こうして、神水の誓いをした六人は宗瑞の家老となって伊豆国を治めた。 その威は近隣に響き、軍勢は招かなくても集まり、攻めなくとも従った。 それはただ風に草木がなびくようであった。 (相州兵亂記) 伊勢宗瑞の、伊豆取りまでの逸話である。
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