- 戦国ちょっと悪い話41 [転載禁止]©2ch.net
247 :2/2[sage]:2015/01/13(火) 18:43:01.45 ID:HrajbQXf - しかし実は、この状態ならばまだ復活可能であった。
公家の家の存在意義は、文庫と故実との継承にある。 文庫さえあれば、別人を当主として、再興することができた。 洞院文庫は、少しずつ公数が切り売りしていたが、まだ大半は残っていた。 そのことに目をつけたのが、洞院家のライバルである西園寺家であった。 洞院を従えれば、名実ともに閑院流のTOPになれる、という魂胆である。 文明十四年十二月、時の当主西園寺実遠は、次男公連を洞院当主とすることを天皇に請い、それを許された。 続いて実遠は、洞院文庫の確保、とりわけ重宝である『園大暦』の確保を狙う。 だが、公数にとってそれは認められるものではない。 西園寺の風下に立つ洞院家は、公数にはとても認められるものではなかった。 ゆえに公数は、わずか4ヶ月後、翌文明十五年三月に中院通秀へ『園大暦』を売り払った。 中院家は、村上源氏久我家の支流であり、閑院流どころか藤原氏でさえない。 こうすることで、洞院家の復活を完全に阻止しようとした。 そうでなければ、わずか3ヶ月で売り払うことを決めたりはしないだろう。 かくて、公数の予定通り、洞院家は消滅することになった。 西園寺から家をついだ公連は、若くして亡くなり、その後をつぐひとはあらわれなかったのだ。 名門洞院家を潰した公数の評判は、極めて悪い。 同じ閑院流の三条公敦によって、文明十一年に書写された『尊卑分脈』には、最後に次のように記されている。 「この系図、洞院累代の本なり。しかるに左大将入道〈俗名公数、法名を知らず〉、放埒の仁なり。一流すでに断絶分と云々。記録・抄物等、悉く沽却す。耳を洗うべきものなり」 「聞いた耳が汚れる」とまで言われるほど評判が悪くとも、プライドを守り、ついに家の断絶を成し遂げたある公家のはなし。
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