- 初期設定がチートな大名
590 :人間七七四年[sage]:2013/08/18(日) 09:40:28.01 ID:LUDO/p5e - 朝廷に献品&屋敷作ったり貢献しまくってなんとか高い地位手に入れただけです
長久手の戦いに大敗して将軍を目指す構想が適わなくなって武力平定諦めたため 各大名の高い自立を認めた非常に弱い政権しか敷けず秀吉死んだだけで天下は崩壊 豊臣滅亡で完全に負け犬 朝廷は利用していないけど信雄をまんまと利用した しかも83年以前と84年以降で朝廷への接近度が違いすぎる これらの論文でも小牧長久手の戦いが契機となったと書いている それを否定してるのは堀氏など一部のアンチ徳川の馬鹿学者くらいだよ 史料に残ってるのに史料無視のアンチ徳川馬鹿の妄想なんて信じない方がいい 近世成立期の大規模戦争、小牧長久手の戦いの構造、秀吉の天下統一戦争、戦国織豊期の朝廷と公家社会 池上裕子氏「日本の歴史 15織豊政権と江戸幕府」 立花京子「織豊期研究」「秀吉権力と「天皇の静謐」」 このあたりも上記と同じ見解を示している 秀吉は84年から頻繁に上洛したり御所を造営したり禁裏での饗応に参加したり 連歌興行に参加したり積極的に朝廷への接触をはかるようになるよ。 また秀吉がこれ以前にはほとんど見られなかった献上行為 が天正12年6月 秀吉⇒天皇 鳥、百羽 天正13年3月 秀吉⇒天皇 太刀代折り紙 銀百枚 秀吉⇒誠仁親王 銀50枚 秀吉⇒和仁親王 銀20枚 7月 秀吉⇒天皇 白鳥三 蝶子三十 ⇒誠仁親王 白鳥ニ 綿百吊 ⇒和仁親王 太刀 ⇒若御方 料紙 と献品しまくり また寺社衆への所領安堵もしまくっている 長久手で一敗地にまみれた秀吉が朝廷を利用する事を考えたんだろう そもそも秀吉は政権なんて取ってない。実力のない公家とか朝廷とかが形式的に従えてるのと同じ 秀吉が天下取ったというなら公家や朝廷が天下取ったというのと同じ事 秀吉が本当の意味で天下取ったといえるなら秀吉死んだくらいで豊臣が揺らぐはずがないし 家康三成のごたごたでめちゃめちゃになるなんておかしい 結局皆うわべだけ従ってただけ。武力で統一したわけじゃなく停戦令を通達して 戦いをやめさせただけの間接支配だったからあっさり瓦解しただけ。
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- 初期設定がチートな大名
593 :人間七七四年[sage]:2013/08/18(日) 09:51:20.19 ID:LUDO/p5e - 普通に読めば主=天皇か朝廷で
朝廷が一旦出したか出そうと思ってた勅定を考え直して低い方に取り替えたってだけの話だろ その証拠に「天皇とか主上」は作中で一切具体的に語られないし その間の天皇の取り消し行動とか考え直した行動が省略されてるだけ。
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- 関が原の合戦、西軍100パーセント必勝法2
264 :人間七七四年[sage]:2013/08/18(日) 21:41:56.71 ID:LUDO/p5e - 出展は知らないんだけど石田隊って確か黒田・細川・田中の三隊を相手にして五分くらいの戦いしてなかったっけ。
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