- 武田勝頼って信玄以上の名将だったんだな
745 :人間七七四年[]:2011/12/19(月) 16:37:28.36 ID:GUCsPWm+ - そうだったのか。勝頼本陣の守りは堅かったのか。
≪737≫の俺の考えが、敵の状勢、実際の地理を把握しない机上論だったことは認める。 しかし、疑問がまだ残る。「当時の武田家臣団の目線」で考えて欲しい。お前に会えて嬉しい。 1.あの時の、武田家臣団は退路を断たれたと動揺するしかない 織田軍の畿内状勢を考えると、武田は退路を心配する必要がないことは分かった。ありがとう。 しかし、当時の文明で、畿内の織田軍の状勢をタイムリーに把握できるのか?毛利の動きとか。 そして過去に武田は朝倉の勝手な包囲網離脱を経験してるから、他力を信頼できなかったはず。さらに、信長が攻撃する気が無いことを、武田は知りえない。 だから、当時の武田軍が退路の心配をするのは当然だったのでは? その上で、退路について考えると、退却時の寒狭川渡河に手間取るのは武田軍も同じ。酒井軍より数が多い武田軍は追いつかれないか?移動距離も連吾川からの武田軍の方が長い。 さらに眼前には織田徳川軍が対陣してる。 武田を恐れてるにしても、追撃戦は圧倒的に有利だ。武田は織田軍ほど堅固な陣城を構えてはいなったはず。 だから、「あの時点」での鳶巣ヶ山砦の陥落に動揺し、眼前にしか活路が無いと武田家臣団は考えるしかないのでは? 2.武田家臣団は、織田徳川軍の総攻撃の可能性は大いにある、と考えるしかない 織田徳川軍の兵数は、城攻めができる3倍。背後からも攻撃できる。 武田も守りは堅いようだが、前後からの攻撃に耐えられるのか?挟撃されるのは最も不利な戦い方だ。包囲もされかねない。だから武田は、挟撃される前に前方の敵を倒すしかないと考える。 ただ、「信長目線」で738の織田軍の状勢、信長の意図を考えると、織田軍はここで長期対陣も、兵を消耗することも避けたい。だから、総攻撃はないと考えられるが・・・ これも武田家臣団は知りえない、推察できないのでは? 当時の武田軍が知りえた思われる情報を元に、勝てるか負けない作戦を考えたい。 歴戦の名将がそろった武田軍が完敗、全滅してしまった作戦ミスとは何だったのか?
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