- 戦国ちょっと悪い話29
381 :人間七七四年[sage]:2011/12/16(金) 10:34:02.82 ID:wesfJ1Dm - 長享元年(1487)9月、将軍・足利義尚は、比叡山の寺領や公家の荘園を押領した南近江守護・六角高頼を攻めた。
将軍親征による大軍を前に、六角氏の居城・観音寺城はすぐに落ちたが、肝心の高頼は甲賀の土豪・望月氏を頼り 近江・甲賀各地を転々として抵抗を続け、そのうち足取りがつかめなくなった。 「高頼め、しぶといの。しかし根無し草の先など見えておる。残る六角残党も大した事は無し。つまらぬ・・・」 まだ23歳の義尚は長陣に飽きてしまい、参陣した諸大名に追討を任せると、近江鈎(まがり)に構えた陣屋を 御所まがいの邸宅に建て直して『真宝館』と名づけ、昼は連歌の会や犬追物を催し、夜は夜とて白拍子を呼び寄せ 毎夜のように酒宴を開き、連日遊興にふけるようになった。 諸大名は将軍の体たらくにあきれ果て、一人また一人と理由を構えては帰国して行ってしまい、 残ったのは加賀守護・富樫政親と、数人の小名を数えるのみとなった。 その政親も領内不安により加賀へ帰国すると、『真宝館』では不審火が続くようになった。 義尚は警備を強化させたが12月20日、吹雪の深夜、突如として館は謎の煙に包まれた。 「な、何事じゃ?!・・・・・・ぐわっ!!」 折からの吹雪に油断していた警固の侍たちは、いつの間にやら侵入していた何者かによって、次々に討ち取られた。 六角高頼に雇われた、望月出雲守率いる甲賀忍びによる奇襲である。 ようやく異常事態に気づいた奉公衆が館へ駆けつけたが、これを察した忍びたちは、さっさと撤収して行った。 義尚は一命を取り留めたものの、さんざんに斬りつけられ、重症を負った。 そのまま養生に専念すれば回復したかもしれない義尚だが、内大臣・三条西実隆に 『平生、一向に御食事なく専ら水酒淫乱の事』とまで書かれた義尚は酒を断てず、傷を癒すことが出来ぬまま 長享3年(1489)3月、25歳の若さで陣没した。(応仁後記他より) SHOGUNがNINJAのサプライズアタックが元で命を落とした、むしろ海外の方にウケそうな話。
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