- 武田信玄上洛成功
289 :人間七七四年[sage]:2011/12/02(金) 15:52:39.43 ID:yIUCxVty - >>決勝綸旨
貰ってるよアホw
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- 織田信長は過大評価されすぎ9
472 :人間七七四年[sage]:2011/12/02(金) 16:02:09.06 ID:yIUCxVty - 信長の家族を守らせる安土城を守らせるなんて
相当に厚遇されてるどころか よほど信用されている証拠だろう。 冷遇してる相手に本拠地を任せるとか意味不明。 下手すりゃ寝首かかれる危険が増すだけ。
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- 武田信玄は過大評価されすぎ!!part2
494 :人間七七四年[sage]:2011/12/02(金) 16:12:18.77 ID:yIUCxVty - >>489
美濃国も一向宗の巣窟だったんだな。 こりゃ信玄がやってきたら 岐阜城のお膝元ですら一揆蜂起確定じゃんよw そりゃあ東美濃が武田の調略に応じるわけだ。 信玄は美濃経由で浅井などとも自由に書状交換できてるしな。
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- 武田信玄に天下統一が出来るの?
844 :人間七七四年[sage]:2011/12/02(金) 16:28:36.14 ID:yIUCxVty - 実際、飛騨国も武田に付いていたし
三木や姉小路の娘を後室にしていた 北美濃の郡上八幡を領していた遠藤慶隆も 武田に内応していたから 北美濃まで武田側になってたからねぇ。 そもそも加賀・越中・飛騨・北美濃・越前・北近江は 一向宗の勢力圏で武田から浅井や朝倉との 書状の交換も自由自在だったし。
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- 結局天下を取るのに大事なのは多く兵を動員できるか
19 :人間七七四年[]:2011/12/02(金) 16:38:06.83 ID:yIUCxVty - 産業革命による蒸気機関や燃料燃焼機関や電力機関といった
動力源の発明により、 金属の高度加工技術を背景に火力武装の性能の飛躍的向上。 物流革命による大量生産体制に裏付けられた大量殺戮兵器の火力 殺傷兵器による殲滅戦に対する国家総動員による人命軽視 これにより戦国時代と第二次世界大戦を同列視するのは スーパーバカと言わざるを得ない。
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- 結局天下を取るのに大事なのは多く兵を動員できるか
21 :人間七七四年[]:2011/12/02(金) 16:51:07.84 ID:yIUCxVty - 基本的に戦国時代の常識などは維新の時点でまったく比較にならず
機関銃などの登場や銃火砲の飛距離など装備の優劣で 兵力の差を補うことが可能であった。 しかし日露戦争のころになると もはや銃火砲の援護下での交戦でなければまともな戦いにならず 大作戦の勃発とは、充分な火力の蓄積を待って発動している。 戦国期とは戦いの内容が様変わりしているのである。 そのため塹壕戦などの新戦略が発案されていくのである。 それでも日露戦争など1900年代初頭はいまだ兵力的劣勢を 戦略戦術と外交力を駆使して勝利することを可能とした 最後の戦いと言えるだろう。 米国のような絶え間ない豊富な生産力と物量を背景に 大空襲や原爆による都市破壊兵器まで登場する 超国家による物量戦は銃後の民間人をも巻き込んで殺戮し もはや戦争というよりも一方的虐殺大会となった。 これは兵力差ではなく科学技術力と工業力による 質的優位がもたらしたものであり、 基礎科学すら欧米の真似で、機械加工のための機械まで 米国から輸入していた時点で日本の敗北は目に見えていた。
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- 結局天下を取るのに大事なのは多く兵を動員できるか
22 :人間七七四年[]:2011/12/02(金) 16:55:44.44 ID:yIUCxVty - 203高地における日本軍の死傷は物量的に
日本軍より旅順要塞の方が圧倒していたのではなく 地の利をもって巧みに火砲を配置した要塞を築いて 籠城戦をしていたことに由来する。
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- 本能寺の黒幕は朝廷だった!
562 :人間七七四年[]:2011/12/02(金) 17:13:52.25 ID:yIUCxVty - 近衛前久は三好三人衆側にいて
足利義栄の将軍就任を認めたりして 反織田・義昭側であり、石山本願寺に逃げて 教如を自分の猶子にまでして信長に反抗している。 義昭の鞆幕府には付き合わず、 ついに都落ちに嫌気がさし妥協して天正3年に 京に戻り信長に面従腹背して追従していただけ。 7年我慢して信長に屈していたが 政治的な対立から吉田神社や 光秀と協調することはあるだろう。 近衛を迎えるにあたり邪魔になった二条晴良に対して 天正4年に二条邸の押小路烏丸殿を 信長がムリヤリどかせたりと信長と対立していて ムリヤリどかせた後に築いた二条御所に 信忠は光秀に追い詰められ、その横の近衛邸からも狙撃され 信忠は死ぬことになる。 新旧関白のタッグにより信忠まで息の根を止められ 織田家は事実上の滅亡を迎えたのである。
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- 本能寺の黒幕は朝廷だった!
564 :人間七七四年[]:2011/12/02(金) 17:27:50.23 ID:yIUCxVty - 本能寺の変の時期の関白の一条内基
分家土佐一条氏には、元親の娘を娶っていた一条内政がいて (嫡男の一条政親は元親の家臣久礼田定祐に養育されていた) 天正元年から3年間に渡り土佐に住んでいて 偏諱を与え、左近衛中将に推挙している。 信長の長宗我部討伐の四国遠征に直接に関わりがある人物であろう。 ちなみに一条内基の前の関白は九条兼孝で、この人の父親は二条晴良。
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- 結局天下を取るのに大事なのは多く兵を動員できるか
38 :人間七七四年[]:2011/12/02(金) 18:38:48.57 ID:yIUCxVty - 小牧長久手で家康が秀次隊を討っていたりと
兵力の集中と運用における家康の手腕が光る。 島津など所詮は田舎武者であり、すでに立花宗茂の前に 筑前攻略に失敗して筑後まで追撃をかけられ そのあとに豊後攻略を開始して、籠城遅滞戦術の前に敗走。 このような条件の下で秋月へ援軍も送れず 日向南部と肥後南部で秀吉と戦おうとする時点で敗北確定。 小田原においては浅間山が噴火していたようで 上野国の松井田城の大道寺政繁が降伏するなど士気の低下が激しい。 また後詰めや友軍による援軍の見込みのない籠城は愚策であり、 伊達が離反した時点で北条の運命は決していた。 家康や秀吉の用兵のように兵の機動運用により 兵力の分散と集中と戦略目標の明確化による内戦作戦などを すべきでありながら 野戦決戦思想が無く 謙信や信玄を退けた経験から 各地の城に兵力を分散配置した挙句に 敵主力がすぐに到達できる伊豆の近くの 小田原の本営に首脳が籠城を選んでたちまち包囲され自滅。
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- 結局天下を取るのに大事なのは多く兵を動員できるか
39 :人間七七四年[]:2011/12/02(金) 18:52:53.14 ID:yIUCxVty - 関が原では結局、三成が集めたのは烏合の衆で
二股をかけるような者が多く敗れた。 しかし一部の主力をなした軍は質的に優秀で 寡兵で大兵を押し返している例も見られる。 いままでの人間関係による敵愾心、 自軍の裏切り行為による士気の減退などの要因もあろう。 兵の質や士気は大切な要因であり、 数年レベルの長期籠城などで状況の変化を待つ時などで 重要な要因になりうる。 また個人のカリスマ的な能力が実態以上の実力を発揮させる 集団心理を生むこともある。 しかし一番肝心なのは政略に基づいた外交であり 自国を世界から孤立させないことであり、 戦闘の開始の時点で、講和のタイミングと斡旋先と手段を 用意してから開戦することである。 島津などは近衛などと親しく講和チャンネルを所持していた。 しかし北条は徳川に手切れされて攻め込まれるなど 最初からズサンであり、自軍親族の北条氏規が家康に降伏するなど 士気の維持すらままならない戦況経過しか生まれなかった。
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- ★★★名族 六角氏について語ろう★★★
536 :人間七七四年[sage]:2011/12/02(金) 19:31:43.92 ID:yIUCxVty - >>531
子孫必死すぎきめぇ
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