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S字型金具
▼火縄銃について語ろう▲

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827 :S字型金具[]:2011/11/20(日) 01:39:02.37 ID:Vj9EzOfL
原銃の項で、「甘粛」「新疆」「オスマン」の単語は出ていました?
甘粛、新疆は、現中国の省では? 通過ならば分かるが。原典を読みましょう。
もしかしたら魯密銃のことをならば、中国(明)が魯密銃について知ったのは1598年以降のことである。>>298 >>299 >>300 >>301
中国(明)が倭鳥銃を知ったのはそれより前で、日本の銃をきっかけとして「原銃」が書かれている。
格致鏡原、談餘叢考、何氏兵録、經國雄略、武備志などに「小銃支那に入る。」について書いてある。>>810

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829 :S字型金具[]:2011/11/20(日) 10:46:24.40 ID:Vj9EzOfL
『既得西洋銃於遊擊將軍陳寅,又得嚕蜜番銃於錦衣衛指揮朵思麻』とあり、
『思麻攜帶神器,度雪嶺,涉洹河,逾昆侖,重譯獻獅以修職貢。寒暑八更,始達都下。皇祖官思麻而不發,未必非天心默相,以遺陛下,為制服倭奴之具,使陛下今日神武布昭於夷夏者也。迄今四十余年,年已七十有四。』
思麻個人が、40年以上「嚕蜜番銃」を所持していた事になる。(挺数は不明)
『去歲與武舉把臣、把仲弟兄較射,方知其父把部力從嚕蜜進貢獅子進京,皇祖留之不遣。臣問及鳥銃,臣仲雲:義伯朵思麻,即本國管理神器官,一訪可知。臣即同部力詣思麻家,思麻欣然出其本國帶來鳥銃。臣見其機,比倭銃更便。』
趙士驍ヘ、把部力の紹介によって70歳過ぎの思麻から「嚕蜜番銃」を知ったことになる。

大砲火薬はあるが小銃火薬の無い当時の中国に於いて、思麻はただ単に「嚕蜜番銃」を携帯(保管)していただけではなかろうか。
趙士驍ヘ、倭鳥銃用や西洋銃用の小銃火薬を入手し、「嚕蜜番銃でこの小銃火薬使ったところ発射できた」が真実ではなかろうか。その後、趙士驍ヘこの小銃火薬処方で調合するようになり、新式銃を考案するようになったのでは。

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831 :S字型金具[]:2011/11/20(日) 22:00:34.92 ID:Vj9EzOfL
小口径の管形兵器の薬室は膨らんでいるので、粉末火薬を使用したものである。したがって、粉末火薬は燃焼速度が速すぎるので硝石割合を60%におさえたのでは。
また、小口径の管形兵器での粉末火薬はガス圧の増加速度が遅くなるので、丸い弾丸では発射速度が遅く、矢の発射または発音器として使用されたのでは。

大砲用火薬は燃焼速度を抑え、ガス圧速度を遅くし、砲身の破裂を防ぐために硝の割合を抑えているので小銃火薬として不適である。
鳥銃と書いた時点で倭の小銃を指し、「紀効新書」巻15の硝割合は75.8%となり、この割合は現在の標準硝石割合と同じである。>>679
ただ、小銃火薬は混合比率以外の要因でも性能は大きく異なり、秘伝となる。



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