- 織田信長は過大評価されすぎ9
183 :人間七七四年[sage]:2011/11/20(日) 17:30:12.66 ID:WvH8EIRf - >>177
太田和泉守記にしろ大かうまさくんきのうちにしろ 牛一は何も重要なポジションでもなければ当事者でもないわけで、 この点実際に体感して書いた信長公記とは雲泥の差 特に大かうまさくんきのうちは江戸時代に秀吉の一代記を書いてるわけで、 当然主家の秀頼のために秀次を殊更落としたりするのはやむを得ないことだろう。 それと、アンチ織田厨は本当に大丈夫か? 諱を避けるなんてのは私的な場においてであって、 史料で諱を避けてるのは直で書いた当代記くらいだぞ。 同じ一級史料の家忠日記でも「信長」「家康」表記なんだが。 そもそも史料というのは基本的に後の時代の人間に向けて 俺たちはこんなことやったんだって知らせるためのもので、 諱を使わなかった場合「織田弾正忠はまだ生きているのか?」ってとられかねないわけで。 ちなみに信長公記巻一の信長表記は足利公方様との兼ね合いだろ。 本当に言いがかりや揚げ足取りだけは得意なアンチ織田厨だがだわ
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186 :人間七七四年[sage]:2011/11/20(日) 18:09:25.12 ID:WvH8EIRf - もともと信長記は信長公記を見た小瀬甫庵が
愚にして直(そのまま書いたらつまらんだろアホ)って評して書いたものだからな。 太閤記が特に顕著だが庶民受けを狙って面白く書いたって感がかなり多い そら大久保から言われるのも当然だよ。全部が全部当たってるとも言えんけどな。
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188 :人間七七四年[sage]:2011/11/20(日) 20:05:10.81 ID:WvH8EIRf - >>187
悪いことは言わないから織田憎しだけで妄想をひけらかさない方がいいぞ。 大久保はご存じの通り三河物語の作者で、家康の旗本にもなった人だ。 没年から考えても信長公記と信長記の区別くらいつくだろうし、 そもそも信長公記は大名や公家といったお偉いさん向けの本で、 大久保は信長公記を拝見したことすらなかった可能性もあるくらいだからな。 おまえのように大久保の逸話を出してるホームページはいっぱいあるが、 信長記の部分を信長公記だと捏造解釈しているのもおまえくらいだ。 ついでに件の家忠日記だが、これを否定的に考えてる鴨川氏は、 まあ同氏の著書を見るのが一番だが、端的に言うと徳川が大嫌いで、 徳川史料を否定しておきながらそれを反芻証明できないような学者だ。 確かに家忠日記には後世になってわかりやすく加筆された箇所は存在するが、 全部が全部後世のもので創作だというのはいくらなんでも暴論と言わざるを得ない。
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189 :人間七七四年[sage]:2011/11/20(日) 20:13:57.31 ID:WvH8EIRf - ちなみに諱の部分を捕捉しておくと、諱を避けてる人間がほとんど。
じゃあ誰が諱を使われているのかというと、信長や家康といった超重要人物であることが多い。 今でこそ戦国武将の諱なんて有名になっているが、 当時は諱を知らない人なんざいっぱいいたわけで、諱を知らないから 官職名を使っているということも考えられる。 そもそも前述したことだが史料というのは基本後世に向けて書くのであって、 後世の段階では史料に記されている人物は亡くなっている可能性も高いわけで、 平時と同じように考えるのもどうかと思うがな。
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192 :人間七七四年[sage]:2011/11/20(日) 22:24:50.04 ID:WvH8EIRf - そもそも信長公記と信長記どちらが読まれていたかなんて最近の研究見ればわかること
信長記の記載事項が半ば史実のように扱われ、信長公記はやっと再評価の道を歩み始めたばかり ついでに言っておくと、大久保が信長記を批判したのが三河物語だが、 この段階で信長公記が世にでてから20年近く経っている。 信長記も刊行年から考えても同年近く経っている。 ここで大久保が信長公記と信長記を間違えたというのは、 はっきり言ってお馬鹿ちゃんの域で、「アテにならない」発言も 老人の戯言だと思われてしまいかねない。
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193 :人間七七四年[sage]:2011/11/20(日) 22:36:46.14 ID:WvH8EIRf - そして補足しておくと、三河物語執筆時の大久保家は忠隣や忠佐系統が
立て続けに改易されて斜陽もいいとこであった。 そんな没落武士のもとにお偉いさん宛の信長公記が渡される可能性も低い。 あの手この手で信長公記を貶めたいようだが、そんな程度の根拠で史料価値が落ちるくらいなら、 はなから一次史料扱いされてなかっただろう。
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