- 戦国ちょっと悪い話28
898 :1/2[sage]:2011/11/08(火) 21:02:31.24 ID:d0ZyDstj - 天正12年(1584)4月9日、水野藤十郎勝成は長久手の合戦のため小幡を出発した。
が、この頃勝成は眼病を患っていたため兜を着けていなかったのを、父の惣兵衛(水野忠重)が見つけ 「藤十郎!お前の兜は何のためにあるのだ!?今のような時こそ着けるべき兜をどういうつもりで 着けないのだ!?」 と、以ての外に叱りつけた。これに勝成、頭にきた! 「親父殿!あんたにそんなに恥をかかされ以上、もう兜は着けねえぞ! 俺の頭を取られるか、俺が一番首を取るか、今日の俺はそのどちらかだ!!」 そう叫ぶとすぐさま敵の方に向かって馬を駆けた!この馬鹿息子に忠重は水野家家臣、大田十助と言う者に 追いかけさせる。「若様それは軍令違反です!ここに留まってください!」しかし勝成、五月蝿いので追い返した。 すると今度は水野家の武者大将・水野喜右衛門が追いかけてきて、「若様どうか、達てお留まりください!」と 懇願したが、「もうすぐ鑓合わせが始まるというのに、どうして引き返せるものか!」とちっとも構わず 敵陣に向かって突撃した! と、この道で勝成は、同じ徳川軍の米津梅干之助(康勝)に出会った。うめぼしのすけである。これもすごい名前だ。 それはともかく梅干之助が声をかけてきた 「おいおい藤十郎、早くに出てきたもんだなー」「お前もな」「どうだ?鑓場まで一緒に行かねえ?」「OK」 このように同道したが、梅干之助は鑓場の直前で鉄砲に足を打たれた 「畜生、このまま同道したかったんだけどさ、足の甲撃たれて立つことも出来ねえや。こいつは是非に及ばねえなあ」 これに勝成 「まあお前がこんなに早くここまで来た心掛けだけでも比類の無いもんだよ。こうなったらしょうがないから さっさと退却しろ。」 そんな優しい言葉をかけ梅干之助からとっとと別れた。その直後!三好孫七郎(豊臣秀次)の家来、白井備後の部隊と 遭遇!「こちらは白井備後である!お主は何者か!?」「敵だぁ!」勝成は大喜びでこの部隊に一人で襲いかかり 備を突き崩し、白井の首を取り、一番鑓の高名をなした! 「こいつは家康公にお見せしなきゃ!」 勝成がランラン気分で戻り、本陣の山の下で家康の旗本に「御旗本の動き遅いぞ、何やってるの!急げ急げ!」と 煽っている所に、使番の内藤四郎左衛門正成と高木主水清秀に出会う。内藤と高木 「さてさて藤十郎、もう手柄をなしたのか!一番首の高名だ、早速殿にお目にかけられよ!」と家康の上覧に入れる。 家康もこれに「早々に手柄をいたし、高名をしたなあ」と御感に入った様子。
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899 :2/2[sage]:2011/11/08(火) 21:03:00.39 ID:d0ZyDstj - その後から、太田新左衛門、久野三郎左衛門家老本間重左衛門、同忠三郎、勝成の伯父筑紫忠兵衛、
山田平市郎、といった者たちが続々と首を持って家康の上覧に入れに来た。 家康はそれらの実検が終わると、ふと勝成の方を見て 「ところでお前…家来は?」「は?」「は?じゃない。お前の家来はどうした?」 「ああ、え〜っと私はアイツら置いて先に戦場に出ちゃったもので、家来のことは解らんです。惣兵衛(父親)の所に 居るんじゃないでしょうかね?」 「お前という奴は…」家康も呆れながら「しょうがないやつだ。まあいい、わしの馬廻りに付いて参れ」と命ぜられ 「そういう事なら御馬について行きます!」と家康の後ろをひょこひょこしていると、井伊兵部(直政)に ばったり合う。直政は勝成に「俺らこれから足軽部隊をあっちに出撃させるんだけど、藤十郎殿も付き合わないか?」 勝成もちろん「行くにきまってんだろ!」と、すぐさま井伊部隊に参加する。 井伊直政が指揮を取った部隊は見事であった。攻勢をかけてきた敵を追い返しただけでなく、さらにそれを 追い崩した。これは既に高名である。ここで勝成「いかん!このままではここの手柄を全部兵部に取られてしまう!」 そうはさせるかと猛ダッシュ!直政よりも15.6町(1.6〜1.7キロ)も先に行き、敵に向かって乗り込んだ! と、そこに黒母衣の武士発見!間違いなく名のある敵!そう判断した瞬間にはもう討ち殺していた。 首をとって兜の付いたままのそれを、その者が付けていた母衣で包み、首実検の場に持っていった。 それからまた戦場に戻って組み打ちをし首を取ったが、高木筑後守の弟の喜左衛門と、久永源兵衛はどこで見たのか 「藤十郎、さっきの組み打ち、かっこ良かったぞ!」と声をかけたそうだ。 この日勝成は、一番首を含めて首3つを取った。 それからずっと後年、勝成が江戸に下った時、梅干之助が「自分が長久手の一番首をした!」と話していると聞き、 勝成は梅干之助を呼んで 「お前は鑓場の前で怪我して引き退いたじゃないか!一番首を取ったのは俺だぞ!」 と言ってやると、梅干之助はしどろもどろになったそうだ。 (水野勝成覚書) 長久手合戦における、水野勝成大暴れの模様である。
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- 【疑問】スレ立てるまでもない質問8【戦国時代板】
568 :人間七七四年[sage]:2011/11/08(火) 23:22:59.95 ID:d0ZyDstj - >>567
秀吉の羽柴時代の紋は福島沢瀉だったと言われている http://x181.secure.ne.jp/~x181007/kamon/image/06724.jpg これ
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