トップページ > 戦国時代 > 2011年10月31日 > CERMI1Ly

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人間七七四年
当世具足★★★鎧について語ろう★★★大鎧
困るほどの律儀者、佐竹義宣を語る
▼火縄銃について語ろう▲

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当世具足★★★鎧について語ろう★★★大鎧
860 :人間七七四年[sage]:2011/10/31(月) 22:35:49.54 ID:CERMI1Ly
足軽に面頬はないよな・・・
兜に面頬の足軽はいまだかつて聞いたことがない。
陣笠に面頬のシュールな足軽って歴史上存在したのかなw
困るほどの律儀者、佐竹義宣を語る
538 :人間七七四年[sage]:2011/10/31(月) 23:02:59.86 ID:CERMI1Ly
「石火矢五百目筒之図」に描いてある、義宣が大坂の陣で使用した佐竹の大筒は
大きな家紋が彫られて金の装飾が施された豪華な大砲だね。
五百目=1.875gだから4ポンド砲だな。後装式の仏朗機砲で、照準もついてる。
▼火縄銃について語ろう▲
804 :人間七七四年[sage]:2011/10/31(月) 23:22:43.35 ID:CERMI1Ly
大砲スレ落ちたんだね・・・
豊薩軍記によると、丹生島城の戦いで大友方は有名な「国崩し」を使い
大玉と共に二升ばかりの五、六匁の小玉を大量に詰めて、
350mほどの距離で放ち「大小の飛丸に当たり許多失せにけり」と威力を伝えている。

西洋ではマスケット銃の弾を詰めて散弾にする事は珍しくないが・・・
口径によって数十〜数百発を詰め、イギリスでは300mほどから、
フランスでは散弾の跳弾にも殺傷力があると考え500m以遠から撃っていた。
朝鮮でも地字銃筒といった後装砲に、烏弾という散弾を使用するので
近距離では散弾の威力はやはり脅威なのかな


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