- 小田原の役で後北条軍が豊臣軍に勝利する方法
397 :人間七七四年[sage]:2011/10/31(月) 06:15:24.15 ID:5LvgjohQ - >>392
家の浮沈のかかった対豊臣外交を、平時の外交予算で安くおさめたいとか世の中なめすぎだろ。 「戦争による勝機は徳川が屈服した時点でなかった」なら 「外交で済むなら、それに越したことはないし、それがダメなら戦争というだけの話。」にはならない。 なんとしても外交で決着をつけねばならず、そのためにはさっさと上洛せねばならない。 >>387でいう主戦論者が氏照・氏邦という超大物なのに上洛降伏でまとまってるとか無理ありすぎ。 協議が割れてるからこそ氏規や重臣に適当な事言わせて時間を稼いでいたと観るべき。 外交武将の捕縛は名胡桃事件の後の話。 要するに上洛しか選択肢がないのにだらだらと引き延ばしたあげく 名胡桃事件というタイムリミットがやってきたという話だろ。 戦争に関しては詭弁乙としか言いようがない。 戦端を開く前に降っていれば過去の例から言って本領(伊豆相模)の安堵くらいはあっただろ。 本拠地に集めた兵で最初から後詰のない籠城を選択するような愚策は島津や長宗我部もやっとらんぞ。 城を枕に華々しく散るためとしても結果は降伏開城切腹。sage
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398 :人間七七四年[sage]:2011/10/31(月) 06:17:19.23 ID:5LvgjohQ - >>393
通説や結果を無視して、負け側に都合のいい説や解釈ばかりを定説の如く語るのはやめた方がいいよ。
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399 :人間七七四年[sage]:2011/10/31(月) 06:19:20.31 ID:5LvgjohQ - >>394
・北条がちんたら上洛しなかったから攻め込まれた>そんな事はない、一門や重臣を送ってる。 大名は最後に交渉に赴くもので、実際に氏政が上洛準備をしていた書簡も残っている。 .>時間稼ぎでも一門や重臣ぐらい送る。協議が割れてても、ある程度の準備くらいはしとくだろ。 ・総無事令出してるのに名胡桃城攻めたのが悪い>この事件そのものの資料性が怪しい >というならソースくらい出してほしいな。まさかまた個人研究HPじゃあるまいな? ・後詰もないのに籠城かよ、小田原城に頼り過ぎw >野戦に打って出て勝てる戦況ではない。 >初手から籠城で勝てる戦況ではもっとない。 小田原を囲まれる前に降るか、でなきゃ>>362の言うように内線作戦による各個撃破でも狙うべき 。 俺が言いたいのはこんなとこ
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