トップページ > 戦国時代 > 2011年10月27日 > lbyHNyB+

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人間七七四年
547
戦国ちょっといい話29
上野の真の支配者は誰?
戦国ちょっと悪い話28

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戦国ちょっといい話29
283 :人間七七四年[sage]:2011/10/27(木) 17:43:15.47 ID:lbyHNyB+
最近最上家の崩壊後の話ばっかりだったので
鮭様存命中のお話

鮭様と最上川開発

最上義光の最大の功績は山形市の街割よりも最上川開発と言われている。

関ヶ原の戦いが終わるまでは周囲との大名との心理戦で大規模な河川工事も行う事は容易ではなく、
長谷堂合戦後の褒章で庄内の地が戻り、平和な時間と最上川の双方がやっと義光の手に入った。

最上川は今でこそ水を隆々と湛えた大河と思われているが
当時は岩床が多々露出し、非常に流れの急な船の行き来に難儀する暴れ川だった。

人足A「(北楯)大学様のそばにいる、あの陽気なおっさん誰?」
人足B「なんかめちゃくちゃやる気がありそうな人だよね」

北楯大学や新関久正を河川や堰の工事に当たらせる一方
60過ぎたジーサンにもかかわらず義光は先頭に立って削岩の指揮をとってたそうな。
上野の真の支配者は誰?
64 :人間七七四年[sage]:2011/10/27(木) 17:51:18.72 ID:lbyHNyB+
>>60
小山秀綱
1590年天正小田原の役で北条方として豊臣軍の実弟結城晴朝とは下野榎本城で戦う。
榎本落城後、家臣の石島主水と埼玉柳生に一時期滞在したと伝わる。
秀吉に面会を許されたが領地没収改易。
戦国ちょっといい話29
284 :人間七七四年[sage]:2011/10/27(木) 18:00:26.63 ID:lbyHNyB+
その後も治水工事が進捗する中、
北楯大学からの手紙に「見に行きたいけど最近病気がちで体がいう事きかなくて、行けない・・・ごめんね」といった手紙を返した。
鮭様が死ぬ2年くらい前の話。
戦国ちょっと悪い話28
547 :人間七七四年[sage]:2011/10/27(木) 19:12:14.19 ID:lbyHNyB+
白鳥側からの話が無いので



最上義光から白鳥長久さんにお手紙ついた。

「もうダメぽ、系図と後を託したいから、あなたの義息に当たる義康の事をお願い」

長久は最上総領の座を得る好機とばかり重臣を従え籠に乗り行列を作って山形城へと出発した。
田井の最上川の渡し場に来て舟に乗ろうと休んでいると、大きな烏が鳴きながら飛んできて籠の上に糞を垂れ、湯野沢の方へ飛び去りました。
それを見た白鳥重臣の熊野三郎は
「烏は不吉だ、今日は山形行きは取りやめた方がよい。」と言って長久をとめました。
しかし長久は
「馬鹿なことを言うな、天が出羽の太守を証明した系図を私に預け、後の事を頼むといっている様なものだ。なにを馬鹿な事を」と叱りつけそのまま川を渡りました。

義光の病床に着いて以降は有名な「血染めの桜」エピソードへと続く話。

隣室で鮭を振舞われ控えていた家臣たちは、主人の白鳥長久が切られた事を知って戦ったが、熊野三郎友重をはじめ全員が壮烈な最期を遂げたと言われている。

白鳥長久の身の危険を知らせるために籠の上に糞をした鳥は、熊野神社の八咫烏だったとも言われています。
戦国ちょっと悪い話28
548 :547[sage]:2011/10/27(木) 19:15:33.76 ID:lbyHNyB+
タイトルを忘れました

「白鳥主従の山形行き」


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