- 関が原で、もし小早川秀秋が東軍に攻めかかったらU
797 :人間七七四年[]:2011/10/13(木) 21:05:08.38 ID:l/bDPXlP - >>793
東軍が大敗するシナリオは、>>781で既に書き込み済み。 2〜3行目読め。 勝ち馬に乗りたがるのは、戦国武将の本能。 関ヶ原の一戦で東軍総崩れ・家康敗走となれば、それまで傍観・日和見に徹していた連中も参戦、戦功探しに血眼だ。 勢いに乗った軍は、名将不在でも機能する。 対して豊臣系諸将を失った東軍は、徳川のみ。 関ヶ原の敗戦で家康の声望・権威は失墜、西軍諸将の家康コンプレックスは霧散し、怒涛の勢いで徳川領になだれ込む。 兵力劣勢の徳川はあっけなく滅亡。 なんだかんだ言って戦は数。 それは本能寺での信長の最後が如実に証明している。
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- 信長の政権構想
861 :人間七七四年[]:2011/10/13(木) 21:30:43.42 ID:l/bDPXlP - >>858
光秀が大々的に勅命の大義名分掲げて、信長追討の兵を挙げたら、逃げ足の速い信長に逃げられる。 信長は掌中に抱えている誠仁を推戴して朝敵逃れをし、織田諸将の誰も光秀に味方しない。 結局光秀は孤立し滅亡するのみ。 つまり保元の乱のように、信長は朝廷内の内紛に事をすり替え、光秀を討ち正親町を退位させ流罪にする。 正親町には、このシナリオが見えていたから、信長を騙まし討ちにするしかなかった訳だ。
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- 関が原で、もし小早川秀秋が東軍に攻めかかったらU
801 :人間七七四年[]:2011/10/13(木) 22:02:27.03 ID:l/bDPXlP - >>800
根拠無き東軍の過大評価は哂える。 小早川軍が東軍左翼に突撃すれば、西軍の勝利決定。 日和見の吉川広家も参戦、毛利秀元と共に家康を背後から急襲。 家康は東西から挟み撃ちに遭い、乱戦の中で戦死。 運よく戦場から離脱できたとしても、もはや徳川に未来は無い。
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- 関が原で、もし小早川秀秋が東軍に攻めかかったらU
804 :人間七七四年[]:2011/10/13(木) 22:44:48.54 ID:l/bDPXlP - >>803
松尾山から東軍に突撃するルートが存在しないのなら、 三成がそれを放置しておく筈が無いし、小早川の東軍攻撃を期待する筈も無い。 妄言虚言にすぎず。 東軍の南宮山の抑えの池田らなんぞ、東軍前線総崩れの報を聞けば、戦意喪失して戦場から逃走。 何の役にもたたない。
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- 関が原で、もし小早川秀秋が東軍に攻めかかったらU
806 :人間七七四年[]:2011/10/13(木) 22:59:34.52 ID:l/bDPXlP - >>805
三成や大谷吉継が小早川の去就を疑っていた事自体、松尾山から東軍攻撃が可能だった証し。 東軍攻撃が不可能なら、勝利の暁に関白職を約束する筈も無い。 虚言妄言のメッキは簡単に剥がされる。
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